だって此処は霞が関
霞が関の構造論
お役所仕事、という言葉がある。
その言葉のイメージは、「動きが遅い」「ルール重視」「融通が利かない」「硬直的」…まあ、そんなところだろうか。
僕はいま、まさにその「役所」で4年ほど働いている。日本政府、デジタル庁。周りの人達の仕事は、比喩でなく、お役所の仕事をしている。
正直に言う。お役所仕事という言葉のイメージと、現実は大部分が一致している。役所は、「動きが遅く、ルール重視で融通が利かず、硬直的」な組織である。
民間企業から来た身としては、あーやっぱり本当に役所は役所仕事なんだな、と思わされる。でも、長くいると少しずつ、その背景が見えてくる。
役所の動きの緩慢さや、融通の効かなさに不満を言う人は世の中に多いが、「何故そうならざるを得ないのか」をちゃんと語る人は、意外と少ない。
そこには、構造的な背景がある。霞が関の官僚たちは、自分たちで言い訳をするようなことはしない性分なので、代わりに僕が勝手に「行政の構造」を、いくつかここで紹介したい。日本で最も頭脳明晰な人たちの集団である。適切な仕事をしていないのでなく、むしろ最適化されすぎているくらいである。問題は、「何に最適化されているのか」が、多くの人たちにはわからないことである。
1.根拠が大事
民間で言う「エビデンスを出せ」という意味ではない。行政は法律を元に、物事を執行していく組織なので、「なんとなく」で行動をしない。どう考えても、やった方がよさそう、ということでも、まずは行動の根拠ありきで考える。それは、法律だったり、公的な行政文書(例:〇〇についての基本方針 ※閣議決定文書)だったり。
行政は、行動について「何故そうしたのか」を問われる可能性が常にある。国民が情報開示請求することも出来るし、野党が質問することも出来る。そのため、後に説明できない様な行動は取らない、というのが基本の行動原理。それ故、何をするにもまず時間が掛かる。
これを理解していないと、「こんなにいいアイディアなのに、なんで訊いてくれないんだ…」となってしまいがちである。僕も最初は、この罠にハマった。いまでは、閣議決定の文書に自分たちのやりたいことを、ちゃんと記載してもらっている。
僕がかつていたスタートアップ業界では、「承認より謝罪」という文化がある。
承認を得るために、時間を掛けるくらいなら、さっさと行動して結果を出し、だめだったら謝罪すれば良い、という、ノリだ。残念ながら、行政はその真逆である。
2.強い縦割り
上述の通り、行政は「何故そうしたのか」という、行動に対する説明コストが重い組織であり、それがこの場所の全てを特徴づける。
ゆえに、霞が関の住民は「この事象について問題が起きた時に、誰が説明をするか」が常に頭から離れない。これは自然に、1.強い縦割り 2.強い縦社会 を生む。 1については、互いの守備範囲を明確にするため。2は、問題の責任を取るのが上席であるため、上下に細かい情報報告のサイクルを発生させる。
これらは、業務のスピードという意味では非効率だが、説明責任への最適化という意味では理にかなっている。
周囲からは、この点は理解されづらい。行政は、縦割りで対応が遅い、などとなじられるが、行政組織は業務速度に最適化して作られていない。説明責任を全ての基底において、設計されているのである。
なお、縦の連携が強いことと、元の実務能力が高く、またよく働くことから、ひとつの部署内で完結できる事象への対応速度は、実際はとんでもなく速い。
3.民選の絶対性
省庁のトップは、大臣。
デジタル庁にはデジタル大臣、総務省には総務大臣がいる。
大臣は国会議員であり選挙による民選、一方で、省庁のスタッフ(行政官)は、国家公務員。行政官は実務のプロ。大臣は実務に疎いものの、政治レベルの調整、権限、国民や自治体への発信力を持つ。
構造としては、雑に例えれば、バリバリ営業出身のCEOと、事務・開発系のCOO以下チーム、みたいなイメージに近い。大臣は発信力と政治的な調整力を持つが、実務は行政官が回している。両者の強みは全く違う。
しかし、大臣は選挙を通った「国民の代表」であるため、省庁では大臣の命令は絶対的である。この構造が、物事をややこしくしている面はある。
与党は内閣改造を繰り返すので、大体1年周期で大臣が代わる。CEOが年ごとに代わるなど、普通の企業では考えられないだろう。その度にゼロからアタマのすり合わせが必要になるし、大臣も人によってかなりキャラが違う。僕もこの4年で、4人のデジタル大臣を経験しているし、その人柄もバラバラだ。
大臣に話を通すことで、上手くいくこともあれば、それだけではどうにもならないことも、実は沢山ある。関係者が多く、国の運営は複雑だ。
4.意思の剥奪
行政官は、ジョブローテーションが頻繁な職業である。1年、長くても2年のスパンで、部署を異動していく。これは、ジェネラリストとしての育成の意味もあるが、全員をある程度代替可能な存在として扱う必要があるためだと思う。国を動かすためには、地味な仕事や、人気のない仕事も誰かがこなす必要がある。全員のやりたい仕事の希望を叶えていたら、国は回らない。
このため、行政官は異動に慣れているし、希望しない仕事をしなければならない、ということに対して、不感症である。そうしたことを繰り返しているせいか、自身の意志を持たないようにしているように見える(本当はそうでない人も多いのだが)。
この辺の事情も、理解をして接しないと、官僚とはうまく付き合えない。
傍から見ると、無機質に見えるけど、ちゃんと話すと「人間」がそこにいる。そういうことは、よくある。異動を繰り返す中で、自分の意志を表に出さないことに慣れてしまっているだけで、芯のある人はそれなりにいると思う。長い霞が関生活で、漂白されてしまってる人も多いけど。
構造を知るのは楽しい。構造に目を向けると、少し優しくなれる。
何かに苛立たされる時、多くの場合、その背景に「構造的な理由」がある。目の前にいる人を責めたくなる気持ちはわかる。でも、その人だって、巨大な構造の中で、真剣に働いているだけだ。霞が関で過ごせば、それがよく分かる。
僕はここに来て、そういう人たちのことを、少し好きになれた。
ここで書いたことは、日本政府の構造の一部だ。
行政の世界は、まだまだ面白いネタが眠っている。そのうち、続きを書きたい。


あらゆる事象の背後に何があるか想像せよ
というメッセージを受け取りました。
ほんとに我々はその事象の一部のみを都合よく切り取り、文句垂れているんだなと。
今なら役所に行って待たされても平気です。
ありがとうございます。
「構造を知るのは楽しい。構造に目を向けると、少し優しくなれる。」
この一文が残りました。
役所の遅さや硬さを、ただの怠慢ではなく、説明責任に最適化された結果として見る。そうすると、腹立たしさの奥に、別の仕組みが見えてきますね。
人を責める前に構造を見る、という姿勢。
大人の読み物でした。