メルカリ時代の友人のkei3と酒を飲みながら、デジタル領域の趨勢に寄って国の境界は溶けていくのか、という話をした。
確かに、米国の独占的なITプラットフォーマーは、並の小国を遥かに超えた存在かも知れない。私が社会人になった2008年、Googleは憧れの存在だった。私はまさに、Googleは国のような存在になっていくだろう未来を予想していた。
というのは、Googleが強大な存在であるという事実以上に、そのエコシステムの成立の仕組みに国家的なものを見たからである。GoogleはGmailやYoutubeなど、生活にとってあって当然のもはやなインフラ的なサービスを多く提供している。その多くは無料だが、実は消費者は、個人のデータを提供するという目に見えない税金を気づかぬ間に払っている。これは情報の源泉徴収である。そして、Googleがより賢くなるために、reCAPTCHA(よく見る「横断歩道はどれでしょう」的なパズルのやつだ)にによって機械の正解データを作るための労働に従事させられている。これは情報の徴兵制である。こういった、個人の資産の一部を国家に自然な形で捧げる代償と引き換えに、便利なインフラサービスを無料で享受している。これは仕組みとして、国家そのものではないだろうか?
そうなった場合、Googleという国は、一般的な政党のように、お題目のやることリストのマニュフェストではなく、具体的な「アルゴリズム」の形で政策を公表し是非を問うはずだ。20代だった僕は、もしそうなら、Googleという国家になら、必要な税金をいくら払って住んでもいいと思っていた。どう考えても便利だし、政策の透明性も高そうだ。
それから20年弱が経ったが、私は未だ日本に住み、Googleは依然として、いや以前より遥かに強大な力を持っているが、国ではない。
どうやら国家とは20代の私が妄想したような、そんなに簡単なものではなかったようだ。とはいえ、Googleは更に大きな利用者と莫大な情報の源泉徴収・情報の徴兵制を続け、Geminiは検索とは比べ物にならないほどのリッチな個人情報と学習データを収集するだろう。OpenAIが台頭した当時、検索ビジネスに拘泥するGoogleはディスラプトされると云われたが、それは当たらなかった。Googleは未だ国家ではないかも知れないが、この先どこに向かうのだろうか。


