ワニの話
仕事の仕方を変えた。
ある知人と、プラットフォーマー(以下PF)の話をした。仕事先のクライアントA社が、「自社をPFにしたい」のだという。よくある話だ。21世紀の世界では、猫も杓子もPFになりたがる。
少し話を聴いて、僕は、A社が目指しているのは“アグリゲータ(Aggregator:Ag)”であって、“プラットフォーマー(Platformer:PF)”ではないよね、という話をした。
この両者の違いについては、このブログの解説がわかりやすかったので、詳しく知りたい人は、そちらを読んでほしい。一部分を引用させてもらう。
「GAFAは必ずしも全部プラットフォームではない」…
(中略)...
急成長したオンライン企業には大きく分けて2つのタイプがあり、自社のサービスが先頭に立ち、何らかの「モノ」を集約していく「アグリゲータ」と、自社のサービスが裏方に回り、「モノ」の作り方や商用化、集客方法などを変える「プラットフォーム」に分かれるというのが、Thompsonの理論の中核にある。前者のわかりやすい例がGoogleとFacebookであり、後者の典型的な例がMicrosoftのWindowsとAmazonのAWSである。
この違いは非常に重要だと思う。
構造的に、アグリゲータの方が不安定であり、プラットフォーマの方が安定する。
雑に例えてしまえば、アグリゲータは魚市場であり、プラットフォーマは釣り具や造船の特許保有者である。前者はフロー的で、常に漁に出て、人気のある商品を集めて動き回る必要がある。一方で、後者はストック的で、時間を掛けた積み上げが、確実に資産になっていく。
アグリゲータ、プラットフォーマのどちらを選ぶかは、大きな違いだ。
チームの統轄者の立ち振舞いにも、この二者択一があるように思う。
去年までの僕は、アグリゲータ的価値でチームをマネジメントしていた。
“面白いプロジェクトの獲得と生成”で、チームを鼓舞して引っ張る技術、魚市場の戦略だ。確かに、常に漁に出ていた。デジタル庁から、色々な省庁に出かけ、ワクワクするような仕事を創り出す、事業開発/BizDev を自身のコアコンピタンスに置いていた。
去年の末くらいから、戦略を変えた。
チームが蓄積してきた価値―我々のプロジェクトに対する、霞が関内でのクレジット、採用してきた人材のケイパビリティ、行政内のプロトコルの理解、プロジェクト生成の方法、それらをより強固にし、チーム内のメンバーや周囲に分け与えることを目指すようになった。
これは、魚漁の経験を、釣り具や造船の特許取得という形に還元するに等しい。つまり、プラットフォーマ的価値への転換と言って良い。
最近、チームの成長が目覚ましい。自生的な形で物事がスルスルと進み、僕がもはや把握しきれないことも増えている。自立性のカンブリア紀である。自身の立ち位置についての戦略的変更の意味を、感じざるを得ない。
デジタル庁に入った当初から、政府で仕事をする人間たるもの、「プラットフォーマとはなにか」を考えるべき、という意識があった。こちらのnoteでも少し書いたとおりであるが、僕の入庁時の面接をしてくれた官僚(参事官級)が語ってくれた持論の影響があったように思う。
「自分が自分が」というモチベーションの持ち方は、それ自体が政府というものの存在価値と相性が悪いと思う。デジタル庁のある参事官が「政府とはPlatform of Platforms」だと言っていた。要は縁の下の力持ちと言ったところか。なので自分たちが目立って直接何かを為すというよりは、より多くの人が成果を出すための下地を整えるのが仕事なわけで。
プラットフォーム論について、IT業界ではBill Gates Lineという論考があるが、そこで定義される「プラットフォームの条件」を僕は心に強く留めている。
…(中略)…..
自身が為すことの総和より、自身が立てた基盤の上に作られる価値のほうが大きい状態を指す。これは良い指摘だと思う…
―行政で働く(2024, Hikaru Kashida)
アグリゲータは、自分の内部に価値を溜め込み、それを優位性として周囲を支配する戦略である。故に、価値が伝播しづく、複利が効きづらい。溜め込んでいる価値が何者かに代替され、自身の優位性を脅かされることを、常に怯えている。
プラットフォーマはよりオープンであり、価値を周囲に分け与え、その裏で、別のより大きな価値の創出に勤しむ。
知人にこの話をした時に、「そうそう、だからさ、きっとアリゲーターなんだよ..」と言われた。それはワニである。
yuiにも、昔この話からか、プラットフォーマの話になると「Hikaruさんはアリゲータがなんたらとかいうけど…」と言われた。それはワニである。
別にまあ、アリゲータでも構わない。この反応をされる時、いつも僕はこの写真を思い出す。
池袋の料理屋で、久しぶりに会ったsoramiと、「クロコダイルとアリゲータはどう違うのか」を、延々と話したのだった。楽しかったはずだが、どことなく疲れた顔をしている。調べてみると、2022年4月の写真であるようだ。
ちょうどデジタル庁に入った月である。本当に疲れていたのかも知れない。それから4年間、色々あった。僕の仕事は、多少なりともアリゲータから、プラットフォーマに近づけただろうか?
※ なお、「庭の話」(宇野常寛)のオマージュを期待した方がいたら申し訳ない。あの本はYoutubeでエアプしただけで、読んでいない。



アリゲーターワロタ