ムスメはLEGOが好きだ。
まだ、構造物を意図して創れるほどではないが、とにかく高く延々と積んでいくことに執心している。耐久性やバランスを考えないので、自重で歪んでいるブロックの上に、更に高く高く高く….いくらでも積み重ねていく。端から見守っているこちらが、いつもハラハラさせられる。
そんな時、僕の頭の中にはラルクの「Neo Universe」1が流れる。
「無邪気な天使が、傾きかけた地面に天よりも高く築き上げていく」、という歌い出しの部分。LEGOをする子供に重なる歌詞じゃないだろうか。ムスメとLEGOをしたあとは、決まってこの曲を聴きたくなる。
ムスメは、まだ恐れ知らずの3歳児だ。だから幾らでも高くブロックを積んでいく。大人になると、必要以上に高く積み上げていくことに、ある種の恐怖を感じるようになる。麻布台ヒルズの建築過程などは、端から見ていて怖くなったものだ。
しかし、それは物質的な物だけでなく、成功や地位と云った、形がないものにも当てはまると思うのだが、どうだろう?
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大好きな漫画の、あるシーンがある。
福本漫画の「天」で、アカギが、原田を諭す場面。
お前は成功を積み過ぎた・・・!…
(中略)…
俺は「成功」を少し積んだら すぐ崩すことにしてきた・・・!
意図的に平らに戻すようにしてきた・・・――アカギ(天 -天和通りの快男児-)
アカギは不思議な男だ。圧倒的な博才で、望むものは幾らでも手に入れられるはずなのに、必要以上を望まないようなところがある。上記の台詞の通り、一定以上に成功が積み重ならないように、コントロールしている。だからこそ、何にも縛られず、誰よりも自由に生きている。一方で、成功を積み重ねすぎた原田は、アカギの指摘通り身動きが取れなくなり、自由を失っている。2
読者の方から、次のようなメッセージを貰った。
以前からhikaruさんの姿勢にはとても感銘を受けています。…(中略)
…メルカリからデジタル庁という転身は、成田悠輔氏が紹介していた「ニコ没(ニコニコ笑いながら没落しよう)」を体現しているかのように思われました。既存の地位に固執せず、過去の成功を自ら壊すことはなかなかできることではなく、改めて感銘を受けました。
こんな僕の生き方を評価してくれる人がいるのは、嬉しい限りだ。でも、正直に言えば、自分でもよくわからないことをしていると思っているし、キャリア形成もへったくれもなくなっていることは、自覚している。そして、そのことに対して、恐れが全く無いわけでもない。僕はアカギほど、強くはない。
でも、そういう「自分で積み崩す」生き方も、カッコいいじゃないかと、心のなかでは密かに思っている。そんな考え方がダサいけど。
成田悠輔氏のいう、ニコ没という概念も、それを肯定してくれる。ニコ没の「没落」というのは、積極的に成功を積み崩すこと、自分を自ら解体することを、肯定している。能動的な没落の重要さ。
どこかで、周りの人たちが「成功」だとみなすようなものを、もし皆さんが成し遂げたとしたら、そこから積極的に没落することが大事なのではないかな、という気がしています。
ニコニコと、自分自身が作り上げてしまった成功とかプライド、それをどう破壊して積極的に没落していけるか、それが大事なんだろうと思います。
――成田悠輔(令和4年度バンタン卒業式 祝辞)
35歳でメルカリを辞した時、周りを見渡しながら将来のことを考えた。
スタートアップ業界では、それなりのプレゼンスを得ていた。その業界で、もっと高みを目指して生きていくことも出来たと思う。次の注目スタートアップで要職に就くとか、データの専門家として、本を書いたり、スタートアップイベントの登壇に精を出したり、アドバイザー業をしたり。自分より上の世代を見ても、そういう生き方は、目につく。
――でも、そこには、トキメキを感じられなかった。
それよりも、少しズレたようなことを、始めたかった。人と違う生き方をしたいと云うのもあるのかもしれない。もっと色んな世界を見たかったかも知れない。積み重ね続けるより、定期的に積み崩したい。地位、経験、キャリア、評判、どれも一定以上は、積みすぎると重いし、自分を縛る。何かが狭まる―それはただの直感だけど。
時には、その直感に身を委ねてみる、理屈ではなく。
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有難いことに、そんな僕に、デジタル庁という新しい世界は、ぴったりとハマった。全く知らない世界、これまでの経験が通用しない場所。周囲からの好奇な目線、これまでの業界の人達と話が合わなくなっていく、一抹の寂しさ。これは間違いなく、「没落」だ。そんな次第だが、デジタル庁での挑戦はそれなりに楽しんでいる。
https://youtrust.jp/studio/articles/digital
そして、何故か大学院に通い始めた。懲りずに、全く違うフィールドで、新しいことを始めることにした。これも一つの「没落」だ。ここでは、僕はもう何者でもない。ただの、数学が苦手な、経済学の初学者に過ぎない。
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でも、そうやって、それまでの自分を解体する時、積み上げた成功の梯子から降りる時、ゼロから何かを始める時、進んで没落をする時。もちろん不安にはなる。でもそれ以上に、僕は僕自身の生に、自由を感じられる。
誰しも、原田のように、上に積み過ぎて、動けなくなってしまう時が来る。そんな時、「自らで積み崩した」経験は、自分を自由にしてくれるんじゃないだろうか。
そう思っている。
ムスメにも、あまりLEGOを高く積みすぎると崩れちゃうよ、と云ってみる。しかし彼女は、そんなのお構いなしだ。また一個、高く積む。ほら、ダイジョーブだったでしょ?、と得意顔、そして、次の瞬間に、高いブロックの塔は崩れてしまう――そんなことは、よくある。
でも、きっとそれは悪いことじゃない。崩せば、そこには自由がある。
何度でも、ゼロから、また少しづつ積んでいけばいいから。
ムスメとLEGOで遊びながら、僕はいつもそんなことを、自分に言い訊かせている。
Youtubeで検索すると、資生堂のCMに使われていた頃の映像が見れる。懐かしい。そして、改めて聴くと、CM映えがエグい曲である。





ニコ没は、無敗の雀士・桜井章一氏の「場をならす」の思想だったり、美輪明宏氏の言う「正負の法則」と通じるものがあると思いました。つかんできたものを、手放すことで得られる自由。人生も折り返したので、そうしたものを大事にしていきたいと思います。
娘さんをカタカナで表記するのは何か理由があるのですか?ヒカルさんならきっと意図的なんだろうなーと。
好奇心で聞いちゃってすみません🙏