広告が嫌いである。
単純に鬱陶しい。人工的に、不要な欲望を無理に喚起している感じにもうんざりするし、そういったものに踊らされている世の中一般にも、嫌気がする。
大学時代からTVのない生活をしているので、派手な広告に対する耐性が下がっている(Youtubeはいち早くプレミアム課金をした)。
所々のデジタル広告にも疲弊している。渋谷など、若い人間が多い街のコワーキングスペースに行けば、若者たちが、クリエイティブを最適化し、CVを向上し、プロセスでAIを自動化し、インフルエンサーを起用する話を、延々としている。やはり、独立するにはデジタル広告関係が簡単なのだろうか。
どの角度から見ても醜悪で、害悪である。なぜこんな物があるのだろうか。
一方で、社会的に見ると広告には、重要な役割があるのかも知れない。
なぜGoogleが、あれだけ優秀な人材を集め、彼らの創造性に任せ、短期的には利益に繋がらないような実験的なプロジェクトでも、果敢に始動するのか。広告という秀逸なビジネスモデルによる利益創出能力のお陰である。
Googleの、年間の広告売上は、3,000億米ドル(45兆円!)で、天文学的な数字だ。会社の売上全体に占める割合は未だに、80%程度だという。
クリエイティブ業界の発展も、広告と無縁ではない。イラストレーションやコピーライティング、動画などが、薄利な「作品」ではなく、ビジネスとして成立するフィールドは、広告を置いて他にはない。
創造性は、資本と結びついてこそ実を結ぶ。広告は、個々の短期的な欲望という、散らばった小銭を吸い上げて、大きな資本に集積する。その余剰は、短期的には儲からないが重要なもの、に投資される。
広告とは、個/短期的な欲求を、全体/長期的な挑戦に、効率的に変換するためのマシンとしての側面がある。これは、ある尺度で見れば、公共的と言えるかも知れない。個々人から少額の税金を徴収することで、集団全体に資する大型の公共投資を可能にする。
広告を見させられるのは苦行だが、社会に必要な税制の一つなのかも、とも思う。
個人の欲望と、本質的な投資の交換。これは悪魔の取引ではないだろうか?
とはいえ、問題は、特に誰も困っていないこと、である。消費者は、欲望を掻き立てられ、欲しいものをネットでザッピングするのに夢中である。広告の運営者は、自身のクリエイティビティ(的なもの)、運用効率とPDCAを追求でき、日々、脳内はハイである。広告によって儲けた資本で、R&Dを出来る別部門の人たちは、広告様々である(恐らく、R&Dの人間にそんな意識はないであろうが)。
広告は、思った以上によく出来た、現代の錬金術なのだ。



以前、広告の作り手の方が『広告なんて誰も見ない。見たくない。』と仰っていて、そういう前提に立てる方って素敵だなと思った記憶があります。
きっと、見せたいもの、作りたいものをベースに考えてしまうと思うので。
外野からのつぶやき、失礼しました m(_ _)m