記事を起点として連絡を貰えるのは、嬉しい。
先日ポストしたワニの話を読んだ知人が、メッセージを送って来てくれた。
先日のワニの話、面白く読みました。….
(中略)….
社会全体で「場を編集する」「場を耕す」仕事の価値はかなり過小評価されている気もしました。自分が前に出るタイプではなくても、その人が少し構造を整えたり、摩擦を減らしたり、再利用可能な形にしたりすることで、場がその後ずっと回りやすくなることは結構ある。しかもそこにはかなり固有のセンスが要る。
その意味で、ストック的な仕事を続けられる人って、単に忍耐強いというより、「儲かるから」「数字が出るから」以外の動機を持っている気がしました。理念なのか、嗜好性なのか、あるいは美意識に近いものなのかはまだうまく言えないのですが。読んでいて気になったのは、まさにその点で、PF的なものを本当に作れる人や支えられる人は、どういう動機や気質を持っているのか、ということです。ああいうストック的な耕しを担う人は、今の社会や組織の中でどうすれば増やせるのだろう、と考えました。
なるほど。
全員かは確信がないが、プラットフォーマの仕事は、少なくとも短期的な利益や承認ではない、より長期的・根源的で、美や善への執念に支えられているように思う。
国などはまさにそうである。
僕自身も、ワニの話で書いたように、自身の仕事をアグリゲータからプラットフォーマ的な価値へ転換しようとしているのは、短期的な損得ではなく、これまでやってきたことを、より長期・永続・広範なものにしたい、そのように未来に接続していくことこそ、政府の仕事であるという、美意識、いうなれば、ある種の内発的なエゴが背景にあると思う。
仮説――プラットフォーマとは、「世界がこうなったら良いのに」「こうあるべきだ」という、ある種の個人的な美的感覚、執着、独善、エゴ、思い込みに根ざして生まれる。演繹を越えた領域から、自生する。故に、損得や合理からの逆算だけでは生まれ得ない。
そう考えると、最後の点についての回答は、難しいものになる。
ストック的な耕しを担う人は、今の社会や組織の中でどうすれば増やせるのだろう
美意識の継承、伝搬、スケールは難しい。
PFを作れる人を人為的に創るのは難しいのではないか。
しかし、では、Microsoftがそういった美意識から生まれたのかと云われると、(Pirates of Silicon Valleyなどを見ている限りだと)かなり怪しい。
このブログはまだ始めたばかりだが、読んでくれた知り合いから、ポツポツとコメントを貰う機会が増えてきた。感想や関連する情報をもらうのは嬉しい。文章を書いていて、一番意義を感じるところである。
今の社会で、人々の繋がりはインスタントで、ライトなスナック菓子のように、軽薄なものに還元されていく。
アップされた写真を0.5秒見て、反射神経でLikeボタンを押すのも、まあよい。
しかし、時間が許すのであれば、自身のより内面的で時間がかかるもの――僕の場合は文章だが――を起点として、他者とほどよく深く繋がりたいものだ。


