Kraftwerkのライブを見に行った。
熱狂的なファンというわけではない。妻と、たまには文化的な活動をしようということでライブ情報を眺めていた時に、偶々来日を知り、「テクノポップ界のビートルズ」とまで評される彼らを人生で一度は見てみたかったので、行くことにした。アーティストのアクトを見る、というよりは歴史鑑賞に近い気分だ。
20代の頃、テクノばかりを聴いていた時代があった。当時は考える仕事よりも、単純に作業をしている時間が長かったので、音楽を聴きながら仕事をする習慣があった。作業の邪魔をせず、寧ろ没頭させてくれるのが、歌詞が少なく、フレーズのループによる陶酔感が強いテクノであった。Kraftwerkはそのリストのひとつだった。
ライブはとても良かった。Kraftwerkのように、機械的で冷たい音楽を、観客はどのように楽しむのが興味があったが、意外にも想定以上に「熱狂」といえる場がそこにはあった。観客がスタンディングオベーションをするシーンもあった。
今の時代では日常的に溢れるようになった,電子音楽の起源ともされるKraftwerk。彼らがテクノ・ポップを1970年代に初めて持ち込んだ時、世間の反応はどのようなものだったのだろう。普通に考えて、殆どの人からすれば、ワケがわからなかっただろう。
(Gemini)
「これは音楽ではない」という批判
特に保守的な音楽批評家からは、激しい拒絶反応がありました。
「冷たい」「魂がない」: 機械的な音の羅列に対し、伝統的な音楽ファンは「感情がこもっていない」「ボタンを押しているだけだ」と揶揄しました。
イギリスでの酷評: 初期にはイギリスの音楽紙で「ドイツの変な連中が、音の出る機械をいじっているだけ」といった冷ややかなレビューも散見されました。
ロックやパンク、プログレッシブの時代だ。時代背景的にも、人間らしさや情動、ヒューマニティが重要視されていた。Kraftwerkのように機械的・非人間的で、衝動を感じられない音楽は、認められなかっただろう。
Kraftwerkは機械と人間の融合に情熱を持っていたのだろう。自分たちのことを音楽家ではなく、「音楽労働者」と呼んでいる。Computer World、Man Machine、The Robots、Pocket Calculatorなど、機械をテーマにした楽曲が多い。
音は無機質で、反復が機械的で、直線で構成される印象を与え、制御が効いている。しかし、完全に人間の要素が排除されているのか、と言えば、骨格が直線的でしっかりしているため、その上に乗っている意図や偏執を感じやすい構成とも言え、逆にそこに人間の存在を感じたりもする。
そんなKraftwerkは、これからのAI時代のヒントにならないか?と素朴に思った。彼らは「人間解体」や「機械人間」といったコンセプトで、かなり大胆に、音楽への機械の介入を全面的に行わせたのだと思う。その結果、まるで設計図のような簡素で無機質さを感じる音楽になったが、骨格を際立たせるほど、人間とは何であるか、生物と無生物の堺は何か、という問いがより目につく。
その後の時代に、Kraftwerkの影響を受けて生まれたChemical Brothers, Massive Attack, Daft punk, Orbitalなど(これらも仕事中によく聴いていた)のメジャーアーティストは、電子音の半透明な土台の上に、色のついた人間性を載せているように感じる。
こう言った音楽の系譜を見ると、人間はどこどこまでも、人間らしさとは何が、を追求する生き物なのかもしれない、とも思う。機械と隣り合わせの世界になったとしても。
Kraftwerkのフロントマン、ラルフ・ヒュッターは次のように言ったという。音楽における機械と人間の理想的な融合の形を、誰よりも真剣に考えているのだろう。kraftwerk的なAIとの向き合い方はどのようなものになるであろうか。
We are the man-machine. It’s not 50-50, it’s 100% and 100%.
我々は人間機械だ。それは50対50ではなく、100%(の人間)と100%(の機械)なんだ。
そんなことを、機械と人間の融合する志向の音楽を目の前で目撃した余韻で陶酔した頭で考えながら、千鳥足でライブ会場を後にした。




