
substackで「言語化力や解像度の高さは本来、幼稚な能力なのではないか」という記事を見かけて、この主張について少し考えていた。何を考えていたかと言えば、内容そのものというよりは「何処の位置から何を云うか」について。
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ところで、最近マクドナルドによく行く。ここ3か月で行った回数の方が、その前の10年で行った総数より多いだろう🍔 理由は簡単で、ムスメがハッピーセットにハマっているから。
マクドナルドは僕の人生に、何度も近づいたり遠ざかったりする。
高校生の時は、部活帰りに毎日のように通っていた。大学生になり、酒と麻雀を覚えるにつれて、行く頻度は減った。社会人になると収入も増え、すっかり足が遠のく。学生のガキが多くてうるさいし――でも、ビジネスを学ぶと、マクドナルドの企業としての偉大さがわかってくる1。そのブランド、グローバルさ、とんでもねえ。かと思えば、SDGsや反資本主義にかぶれて、アンチ・マクドナルドになる。
そうして愛憎の螺旋を何周も繰り返し、いまは毎週末マクドナルドに通っている。朝早くからやっている。こどもを喜んで受け入れてくれる。どの出掛け先にもある。店員はムスメに優しいし、おサイフにも優しい。I'm Loving it!
言語化ビルヂング
これと同じ往復運動が、何にでもあると思う。
中学生の頃、醤油らーめんが大好きだった。でも大学生になると、つけ麺最強説を唱えるようになる。その後、魚介豚骨・家系・味噌・酸辣湯などを通って、いまは結局、醤油が一番じゃないかとなっている。富山ブラックみたいな濃い醤油食べたい。
電子書籍と紙の本も、「結局、紙の本が最強」と何度言ったかわからない。最近は、電子も紙も買うし、同じ本を電子・紙の両方を買ったりもしている。
冒頭の記事で出てきた「言語化」でも同じことだ。これを、建物の階層に喩えて整理してみる。便宜的にこれを「言語化ビルヂング」と呼んでみよう2。

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言語化ビルヂング。
新人の頃は1階にいる。「言語化」なんておぼつかない世界だ、とにかく手を動かすことで精一杯。先輩に、それは論理が流れてない、言語化が甘いとドヤされる。
数年すると、フレームワーク、ロジカルシンキングを覚える。2階に上がれた。資料作りがうまくなって、上司に褒められる。言語化無双!「それって要するに、」が決め台詞。
でも、更に経験を積んで3階に昇るとまた別の世界がある。多様なチームメンバーとの協働が増える。顧客からクレームを受ける。得意先と飲みに行く。「信頼と非言語コミュニケーション」という本を読み出す。
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チームを持たされた。4階に上がる。ツーカーでわかり合う、は甘えなのかも知れない。言葉にできないと、誰もついてこない。考えや指針を明確な言葉に落とすのが仕事になる。でも全部は言葉にできない…取捨選択と強弱に対する葛藤。
言語化を頑張ったけど、メンバーは全部聞いているわけじゃない。結局「熱」の方が大事なんじゃないか、と思い始めた頃、5階に席が用意されていた。言語とロジックだけでは、チームと顧客の内側にある熱には向き合えない。
経営メンバーになった。また言語化の大切さに立ち戻る。内外の多数のステークホルダー、ちゃんと言葉で説明しなければ、誰もついてこない。6階の景色は美しく、厳しく、孤独だ。
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結局のところ、1・3・5の奇数階は「言語化じゃない」、一方で2・4・6の偶数階は「言語化が大事だ」という主張で、それが交互にやってくる。同じ主張が、立場と文脈を形を変えて何度も往復する3――それが、言語化ビルヂング。
まるでビッグマック。パンと肉が交互に重なっている。
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「マックは幼稚」と「マックすげえ」を繰り返し、僕はいまマクドナルドビルヂングの何階にいるのだろうか。
ビルヂングとの付き合い方
ゆえに、誰かの主張を訊いた時、その主張の内容も重要だが、それと同じくらい何階からの主張なのか、には気を払うべきだと思っている。
「誰が言うかより、何を言うかが大事」とはよく云うが、何階にいる人なのかという意味では「誰が言っているか」は実はかなり大事な情報だ。相手がどこまでの世界を見た上でその意見に辿り着いているのか。
それを考えた上で、ビルヂングにはさらに注意することがふたつある。
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ひとつ目に、低層階からの声ほど地上にはよく届く。
低い階層にいるやつほど、安易に断定的で強い主張をしがちだ。そして、その主張の強さが魅力的に見える。はっきりと断定をしてくれるから安心できる。
逆に、奇数階 ↔ 偶数階を複数経験した人は、強い言葉を使うことに慎重になる。上層階の住人は、立場が容易に反転しうることを知っているから「まあ、色々あるけどいまは奇数派かな」と云う言い方になる。一方で初学者は「偶数階で決まり!」と安易に言ってしまう。
ダニング=クルーガー効果とはよく言われるが、初中級者ほど「完全に理解した」と言い、上級者は「何もわからん」という。断定的で強い主張のほうが誰しも惹かれやすい。でも、低層階の強い意見だけを鵜呑みにするのは危険だ。
ふたつめに、このビルにはエレベーターがない。
2階のひとが6階のひとの意見を聴いて、同じ偶数階論者だ!と思う。その人の本を読む。なんとなくわかった気がする。なにより、主張は同じ。要は「偶数階」。
でも、それで本当に6階の境地に立てるわけではない気がする。主張の強度と確信度は、階段を1階づつ昇った身体感覚と、経験の実感からしか身につかない。何より、各階を昇ってきた人間は、多様な主張への包摂力が全く違う。階をスキップできるエレベーターは用意されていない。自分で経験を積まないと。
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かつての僕は、マックはガキが多い幼稚な場所だと思っていた。でも今は全くそうは思わない。今週もムスメを抱えハッピーセットを食べに行くだろう。
マックが幼稚?…マック最高!…どちらの主張が正しいだろう。
でもパンも肉もあってたまにレタスもあったりして、それでやっと「ビッグマック」だ。どの層が良いか、なんて議論は意味がない。僕らは丸ごと食べるしかない4。
言語も非言語も包み紙に包んで、まるっと食べてしまえればいいのに。
このシリーズがめちゃくちゃ面白かった :ファーストフード帝国の誕生と覇権争い 「ビジネスウォーズ マクドナルド対バーガーキング」
最近丸の内によく行くが、「ビルディング」でなくて「ビルヂング」という建物が点々とあり、歴史の深さを感じる。
これは実際、僕とmiyattiの関係でもよくある。メルカリでは、僕はデータの専門職だったから、何事も言語・数値至上主義で、偶数階から物を言う。miyattiはUXパーソンとして、奇数階にいる。言語化によって失われる、非言語的な価値への懸念。
結果、議論を繰り返し、最後には喧嘩をする。
ところが、時を空けて会うと立場が逆転していたりもする。お互いに成長して1階づつ建物を登ったのだろうか。すると、今度は僕が奇数階で彼が偶数階だ。結局、立場を入れ替えて、また喧嘩をする。草。
ちなみに、ビッグマックといえば「箱」でくるイメージだが、頼めば包み紙に変更することも可能らしい。だったら包み紙の方が良さそうだ。崩さず丸ごと食べやすい。





ビルヂング、ヂが往復してる感ある気がする。うちもちいかわ、マリオ、ポケモン、マックに舞い戻る。ハッピーセットも今思うと素敵なネーミング。
包み紙を別にわたされたり、Bigmacハックは、かなり面白いとおもいました。