落語家になってみたかった。
yamottyと、今からどんな職業にでもなれるなら、何になりたい?という話をした。僕の頭に浮かんだのは、落語家だった。落語は多少聴くが、特別に大好きというほど詳しくはない。しかし、なんとなく落語家はカッコいいと思っている。
何が、そう思わせるのか。
第一に、身一つで出来る芸である、というのが格好良い。流しの弾き語りなどにも似たものがあるが、落語家は楽器や小道具すら必要ない(扇子はさておき)。究極にミニマルである。身一つで、周りを沸かせ、生計を立てられるという生き方に、憧れを持っている。
僕が文章を書くのも、珍しく自分にできる、「身一つでできる芸」に近いものだからかもしれない。しかし、PCや紙とペンは必要である。落語の身一つ感には遠く及ばない。
また、落語は公共物を取り扱っている。古典落語は、自分で作った話ではなく、既に存在している演目を、自分なりに解釈して、演る。落語の演目は、250程度しかないという。自身で曲を作って、自身で演じるミュージシャンとは違う。どちらかと言えば、クラシックに近い。そのあたりの制限にも、どこかミニマルさを感じる。
第二に、洒脱で粋で、力が抜けていて、どこかふざけている。芸事としては真剣そのものだが、話し方や生き方が、常に冗談の匂いがし、深刻な雰囲気がしない。自分をサゲて、人を笑わせるのが生業である。偉ぶっていない。そういうが格好いい。
同じ身一つ稼業でも、ラッパーは好きになれない。肩に力が入っている。自分を強そうに見せようとしている。どこどこまでも自分(とその仲間)が中心の世界から抜け出せていない。そこに、大きな違いがある。yamottyはラッパー推しなので違う見解があるかも知れないが。
落語家をそうたくさん知っているわけではないが、アタマに思い浮かべているのは古今亭志ん朝である。業界ではレジェンド的な人だ。結婚式をした時、式場からの提案で落語家さんに司会をしてもらったのだが、志ん朝はもう別格中の別格で、神様よりも偉いと言っていた。
ミニマルである、どこか冗談めいている、洒脱で粋であるというのは、自分が大事にしたい人生像として、確かに、強くある。何故かはわからない。そうありたいという気持ちが、昔からそこにあるのだ。職業云々というよりは、生き方の話である。
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