週末、体調を崩していた。というか、今も。なんだか、胃腸炎っぽい感じで、最初は腹痛だけだったが、そのうち熱が出て、身体がだるくて、頭もぼんやりして、何をするにも面倒くさい。
それで、AIに聞いた。胃腸炎っぽいんだけど、割と熱あるんだけど、解熱剤って飲んでいいのか。すると、カロナールなら比較的よさそう、ロキソニンは胃腸に負担がある場合もあるから避けた方がよさそう、みたいな返事が返ってきた。
そうやって確認しながら、カロナールを飲んだ。しばらくすると熱が少し下がって、身体が少し楽になった。ほんとありがたい。
別に完全に治ったわけではないのだけど。胃腸炎が消えたわけでもない。ただ、少し楽になり、眠れる感じが出てくる。
痛み止めは、まあ、大げさに言うと、麻薬みたいなものだと思うので、ちょっとどこかで、あんまり頼らないほうがいいかなーとかは思ったりする。ロキソニンとかは、腎臓に良くないっていうし。
教科書的なことを言えば、痛みは、身体からの信号である。熱が出ているということは、身体が何かと戦っているということでもあるわけですよね。だるいのも、眠いのも、食欲がないのも、たぶん身体が回復に向かうための反応なのです。
自然になおるのに任せるのか、薬を飲むのか。まあ、かなり好みの問題でもあると思う。日常の小さな体調不良のなかでは、人はわりとこの選択をしている。
ところで、熱があるとき、世界は本当に悪く見える。悪くというか、細かいことが考えられなくなる。
普段なら適切に判断できるはずの、スマホの通知がとにかく煩わしい。人の、子供の声がうるさく感じる。明日以降の、仕事の予定が全部重い、面倒くさくなる。
こんな気分になってみて思ったのだけど、熱がない時、普通に精神的にしんどいときにも、これと似たことが起きているきがするなとふと思う。余裕がなくなり、正常な判断ができなくなる。
仕事がうまくいかない。人間関係がしんどい。何かのニュースを見て、ずっと気分が重い。自分の中の不安や怒りが収まらない。
はやく、この痛みから逃れたい。痛みの原因はなにか。
そういうとき、人は「何が悪いのか」をものすごい単純化して、探し始める。誰が悪いのか。どこに本当の原因があるのか。何を正せば、この苦しさは消えるのか。
痛みは、世界と自分の距離を短絡させてしまう。自分と世界との間にある、細かいステップを一気に飛ばして考えてしまうようになる。辛いから。
痛みが強すぎると、原因を見る前に、世界そのものが悪く見えてしまうことがある。世界が全部敵に見える。全部間違っているように見える。
思春期に、中二病的な、セカイ系的なノリになるのも、あまりにも日々、精神的に痛すぎてしまうのが原因なのかも。大人になっても、SNSなどでみられる、正しさを盾にした炎上なんかも。
正義感とはこういった「痛み」からくる暴走状態のことでもあるだろうな、とか思う。
痛みは、思ったより、人類を狂わせる要因として、大きいものだなと思う。しかしながら、人類から痛みをなくすべきなんだろうか。
痛みには、成長痛みたいなものもある。筋肉痛もそうだ。運動したあとに筋肉が痛くなる。新しいことを覚えるときも、頭が痛くなる。新しい環境に入るときも、心がざわざわする。
痛みを感じない一番簡単な方法は、安全な場所から出ないことだ。人に会わない。
挑戦しない。知らない場所に行かない。難しい仕事をしない。傷つく可能性のある関係に入らない。失敗する可能性のあることをしない。そうすれば、たしかに痛みは減る。
でも、それでいいのか。病気にならないために、ずっと無菌室にいるような生き方をしたいのか。傷つかないために、ずっと誰とも深く関わらないでいたいのか。失敗しないために、ずっと何も始めないでいたいのか。たぶん、そうではない。
だから、問題は痛みをなくすことではないのだと思う。痛みを引き受けつつ、痛みに呑まれない方法を持つこと。
だから、痛み止めが必要になる。痛み止めは、痛みから逃げるためのものではない。痛みによって歪んだ世界認識から、一度戻ってくるためのものだ。
カロナールくらい飲んで、冷静になる。寝る。水を飲む。世界を呪う前に、まず体温を下げる。
コロナのときのことを思い出す。薬がある。ワクチンがある。検査がある。解熱剤がある。マスクがある。そういうものがあるから、人はもう一度、外に出られる。人間は、完全に安全だから外に出るのではない。危険を少し扱えるようになるから、外に出られる。
痛み止めは、問題解決ではない。でも、問題解決に向かうための足場にはなる。
痛い時、問題を解決したくて、人は「意味のあること」だけをしようとしてしまう。問題を解決しなければ。原因を特定しなければ。焦ってしまいドツボにはまる。痛みの中でさらに効果のない問題解決にハマっていく。
たぶん、癒しとは、痛みを消すという単純な話ではない。自分と世界のあいだに、もう一度距離をつくることが、癒しなのではないか。
痛み止めの薬は、今でもたまに飲むことを躊躇する。実際胃腸炎のときにロキソニンはダメだとAIに怒られた。でも、やっぱり薬は大事だ。痛みから逃げるために使わなければ。メンタル的な薬ももちろんいい。
痛み止めの薬、じゃなくても、あなたが「逃げ」と感じてしまって罪悪感を持ってしまうこと。現実逃避的ななにか。それも、こういう文脈ではありだろう。
痛みに呑まれたままでは、まともに世界を見られない。怒りで世界が全部敵に見えているときに、冷静な対話なんてできない。
大事なのは、問題にもう一度向き合える状態に戻ることだ。大事なのは、人と世界との適切な距離を回復することなんじゃないかなとおもう。
…まあ、というところで、実際のところは、会社は期末で、色々と仕事が気になるところではあるのだけれども、今日は早めにゆっくりと休み、明日また、冷静な頭で仕事のことを考えることにします。
おやすみなさい。




体は賢くて
熱は汗をたくさんかいて寝ると下がる
しかし 日常では熱は
不安 怒り 悲しみとなり
正義感の暴走になっているのかもしれない
もう十分に傷ついた。いま小さなコンフォートゾーンを手に入れ、外界への関心もあまりなくなった。
それでも時折、さざ波は押し寄せるし、コンフォートゾーンから抜け出せと心が叫びもする。
厄介なものですが、死ぬまで生きる。それしかないですね。