スタートアップは楽しい。そこには熱狂がある。
私は2016年からの4年間あいだ、六本木ヒルズでメルカリという熱狂のど真ん中を過ごした。2018年の上場の前後2年を経験したのだから、面白い時期だったと思う。
人には何らかの熱狂が必要だ。それが仕事とは限らないが、趣味なり恋なりアニメなり、なにかに熱狂している人生が楽しいという風潮はある。スタートアップ界隈の人間は特に顕著で、常に熱狂できるテーマ、会社、イベントを求めて、その時代で一番の輝き、熱量を放っている場所を求めて彷徨っている。旬のスタートアップのプレスリリースや業界有名人の入社エントリーを読み、その熱源となる炎のアツさを想像して酔いしれている。
僕も4年間、同じように熱狂していた。楽しかった。そして同時に、在籍に終わりに近づくに連れて、熱狂を求めて生きるキャリアとどう決別しようかを考えていた。次の熱源を求めて、旬のスタートアップを巡るようなキャリアを歩みたくなかった。
スタートアップは燃え盛る松明のように、まばゆい光を放っているが、その熱の風化も速い。また、熱狂を保つために、多方面で無理をしている向きもある。火が弱まれば人も資金も離れていく、そこにはエコシステムの儚さと残酷さがある。
日本政府の仕事にはたまたま出会った。2022年のデジタル庁は、新しい省庁の立ち上げ、民間人と官僚の混成というカオスの中で、仄かな熱狂の香りはありつつ、「国の仕事」という、決して絶えることの意義を抱き、全く違う質の熱源を持っていた。
それは地熱発電のようなものかもしれない。尽きることのない無尽蔵の大地の奥からくる、温かく安定した熱。絶えず油を注ぎ込むことで、燃え盛る炎を誇る松明のように、派手ではないが、そこには確かな力強さと安心感がある。
松明探しでなく、地熱とどう自分を接続するか。
派手さではなく、安定した熱量を武器に、広く大きな意味をどう築くか。
あの頃のメルカリという圧倒的な松明の熱量を経験したからこそ、40代はそれとは全く違うモチベーションの熱源で生きることを、考えてみたい。


