Xで何か投稿をする。通知が来る。開くと、意見の違う、空気を読まない、見当違いな返信。イラっとする。親指がミュートボタンの上で止まる。
でも、よく考えると変なんですよね。意見が違うコメントなんてしょっちゅう来るのに、大半は平気なんです。「あー、そういう意見もあるよね」で終わる。自分の中で整理済みの論点なら、何を言われてもとくに揺れない。
イラつくのは、決まって、自分の中でまだ言葉として乗り越えられてない、けど直感的には正しいと思ってる論点を突かれたときです。その宙ぶらりんを解決しなきゃいけない状況が面倒で、しかもそれを他人に持ち込まれるから、「なんでそんなクソコメントしてきたんだ」と相手に怒りが向かう。
しかし。整理済みの問題なら怒ってないわけです。
怒ってるのは結局、相手のせいじゃなくて、自分の中の問題。物凄くシンプルに言うと、クソレスに対する怒りの本質は八つ当たりなんですよね。
この考え方、実は原点があって、中学生のときに出会ったアルバート・エリスのABC理論です。認知行動療法のもとになった考え方で、A(Activating Event - 出来事)が直接C(Consequence - 結果)を生むのではなく、あいだにあるB(Belief - 信念・認知)が生む、という話。
自分はたぶん、これに出会って「合理的にものを考える」ということを知った気がする。
わかりやすい例でいうと、顔の傷の話。
顔に傷なんてない人が「お前の顔の傷、みにくいね」と言われても、ぽかーんとするだけです。出来事Aは同じでも、怒りは発生しない。でも、少しでも自覚があると、イラつく。自分の中に「顔に傷があるのはよくないことだ」というBがあって、普段はそれを抑えて生活しているのに、指摘されて、思い出して、「そもそもこれをどう乗り越えるべきか」という論点を再燃させられるからイラつく。顔の傷が問題なのではなく、それを自分の中で整理しきれてないことが問題なのだ。クソレスも同じで、相手はたまたまBを踏んだだけ。
だから、Xで相手のクソレスでイライラしたとしても、相手にそれをぶつけないほうがいい、という話がある。しかも、なんならこのイライラは、「ここ、まだ解けてないよ」という証拠でもある。普段は気づかないふりをしていた問いを、頼んでもいないのに外から持ってきてくれたわけで、成長をよしとする価値観に立つなら、むしろありがたがるべき事象なのです。
無料で自分の弱点を教えてくれる、ありがたい存在であると。
さて、ここで一回話としては、転調します。
なにかというと、Bが問題だとわかっても、解けない問題へのイラつきは消えないんです。なので、結局そのまま、うん、合理的に考えるとそうだけど、イラッとするからミュートしてこう、となります。これは、私が悪いのでしょうか?私が合理的な人間ではないということなのだろうか?
いや、問題はそんなに簡単に割り切れないですよね。「問題」ってのは、本当に解決できないから、問題なのだ。すぐ解けるなら、問題として自分の中に居座ったりしない。難しくてややこしい問題。答えがない問題。ゼロサムで救いがない問題。決められない問題。
天災とか病気とか、本当にどうしようもないものは、まだ半分あきらめがつく。でもそれすら、「日頃の行いが悪いせいではないか」とか、「そもそも死とはなにか」みたいな究極の問いに思い至ると、苦しむことになる。
ABC理論をはじめとする、こういった認知行動療法の類の効用は、正直、その問題を思い出すきっかけになった相手に八つ当たりする必要はない、などと頭で、状況を整理、理解できることぐらいです。もちろんそれによって、心が落ち着く場合もあるけれども。すぐに割り切れることはないでしょう。いや、何なら余計につらなることもある。
なにかというと、この理解、他責から自責になるということでもある。
まぁ、これはこれでつらいんですよ。問題が他責であるうちは、「その他を取り除けば解決できるのでは」という、わかりやすい解決方法が想像できる。自分に向き合わなくてすむ。Bの問題だとすると、答えは自分の中にしかなくなる。他人を巻き込めなくなる。
ここがややこしいところで、実際の問題解決って、自分一人で抱えるより、他者を巻き込んで他の人の力を使ったほうが解けたりするんですよね。認知行動療法は、自分に向き合うところまではいいんだけど、自責がいきすぎて、かえって解決から遠のく問題があると、個人的には思ったりもします。
だから一周回って思うんですが、適度に「A、出来事自体に問題がある」としておくことも、まぁまぁ大事なのかもしれない。これは呪術的な態度です。
Bは科学。Aは呪術。黒猫が目の前を横切ったから悪いことが起きる、の世界。非合理なんだけど、考えても仕方がないことの場合は、「あの出来事が悪かった」で、そこにとどめておく。それ以上、自分の内側に降りていかない。
大病、天災。自分でどうしようもない問題。全部呪いや妖怪、悪魔のせいにする。もちろんこれが行き過ぎれば、最悪であることぐらいは、説明せずともご理解いただけるとは思いますので省きますが。ただ、この効用を忘れてはならないという、ところを両論併記で、申し上げておく。要はバランスです。
なのでXでも、悩みすぎるぐらいなら、ミュートやブロックでいいんだと思う。ミュートやブロックは、呪術なんです。黒猫が横切ったら道を変える、ぐらいの話。呪術的なものを生活に適度に取り入れないと、窒息してしまう、というのもあるのかもね。
中学生でアルバートエリスのABC理論に出会ってから30年、科学的に考えることをやってきて、最後に手元に残った技がミュートという呪術なの、われながらちょっと面白い。イラっとしたら、2分だけ考える。Bが見えたらメモする。それでも収まらなければ、黒猫だったことにして、ミュート。えんがちょきった。呪術と科学の空気が日々の問題解決には渦巻いている。




ABC理論、いったん手元の考えを整理できて良いですね!
とはいえ私も引っかかるコメントに遭遇することあるんですけど、無闇に悩むの良くないなと思ってミュートするようにしてます笑