あの娘のことが好きなのは
寝てしまったムスメを抱きながら適当に
時折はこどもに関連したことを書きたいものだ。いま、このブログでは初めてスマホで文章を書いている。僕の上でムスメが寝ていて、スマホを触る以外の動作が一切、出来ないからだ。
ムスメは可愛い。特にその可愛さと存在を感じるのは、身体をくっつけている時だ。その重さ、肌触り、なんとも言えない匂い、暖かさ。神経を澄ませれば、彼女の速い心音も感じることが出来る。
むかし好きだった音楽を、大人になってから聴き返すと、時には再発見がある
Blankey Jet Cityの『赤いタンバリン』という楽曲は、そのひとつだ。高校3年の時期に1番聴いたナンバーのひとつかも知れない。
あの娘のことが好きなのは
赤いタンバリンを上手に撃つから流れ星一個盗んで
目の前に差し出した時の顔が見たい――赤いタンバリン(Blankey Jet City)
文字面で見るとだいぶキザな歌詞だが、浅井健一が歌うのを聴くと、そういう感想にならない。そういうのが、唯一無二というやつなんだろうけど。
学生の頃は歌詞の意味なんて、さほど考えて聴いていなかった。
なんとなく、水商売でタンバリンを叩いている女性に恋した男をイメージしていた。浅井健一には、実際にそういうところがある。夜の女性、アバズレが歌詞によく出てくる。「誰とでも寝るような そんな女のことが好きさ」という歌い出しの曲がある。フットボールアワーの後藤もその歌詞に衝撃を受けたと話していた。
暫くしてから、赤いタンバリンとは「自分の心臓」の比喩なのではないかと思い至った。“あの娘”とは、自分に恋をさせてくれる存在。自分の鼓動を、誰よりも乱してくる女の子。素敵な歌詞じゃないか。この解釈であれば、「打つ」ではなく「撃つ」なのも説明がつく。
しかし、自分にこどもが出来てから聴いてみて、この歌詞の別の可能性に気づいた。赤いタンバリンとは、「こどもの心音」の比喩ではないか。
あの娘のことが好きなのは 赤いタンバリンを上手に撃つから
そう考えると、全く意味が変わってくる。これはこどもに対する、「生きている」ということそのものへの、無条件の肯定なのだ。
いまの僕にとっては、この解釈の方が、より魅力的で、説得的だ。心臓動いているだけで尊い!その気持ちはよくわかる。
この曲では、
いくらか未来が好きになる
という歌詞も何度か出てくる。不器用で孤独に生きると思っていた男が子を持てば、こんな台詞も吐きたくなるかも知れない。僕も近い気分だ。
実際のところは歌詞の本当の意味というのは、書いた本人にしかわからない。浅井健一は僕が好きな他のミュージシャンと同じく、自身の歌詞の意味について積極的に語ったりはしないタイプだ。
時系列で言えば、彼には1997年に第一子の女の子が誕生している。赤いタンバリンは1998年にリリースされているので、大分辻褄は合う。
自分が変われば、同じ音楽の聴こえ方も変わる。水商売の女のことから、純粋無垢なムスメの心音まで。赤いタンバリンは、楽曲としても細工の少ない、かなりストレートで、青臭いロックナンバーだ。歳を喰ってからより好きになるとは思わなかった。
「赤いタンバリンを上手に撃つ」という表現は、何度撫でても、実に詩的だ。
うちのムスメも、毎日上手にタンバリンを撃っている。一生懸命生きているのだ。
その事実だけで、いくらか未来は好きになれる。
人の上でスヤスヤ寝るのは良いのだが、降ろそうとしたらこの世の終わりみたいに泣くのは、できれば止めてほしいけど。


無茶苦茶素敵な記事。樫田さんが日々紡ぐ文章を読みたいと思っていたので、substack始めてくださって嬉しいです。
メリットのCMに椎名林檎のギブスが起用されたのも胸熱でしたが、親になって、ものの見え方(解像度、コントラスト、とにかく全て)が丸っと更新されるのは、嬉しい誤算だなといつも思います。