最近、生成AIを使ったタスク管理システムを自前で作って、運用を始めた。今のところ1週間ぐらい続いている。三日坊主は超えた。かなりえらい。
と、書いておいてなんだけど、自分はこれまで、タスク管理術を工夫したことで仕事が劇的に速くなった経験が、正直まったくない。
Notionを使っても、Todoアプリを使っても、紙のノートに戻っても、朝にToDoリストを書いても、仕事は普通に溜まる。Slackは飛んでくる。締切は来る。昨日から持ち越したタスクは、今日もわりと元気にそこにいる。
それでも仕事術の本は読んでしまう。読むたびに、今度こそ自分は生産的な人間になれるのでは、と思う。新しいアプリも試す。テンプレートも作る。今回ついに生成AIまで導入した。
でも、だいたい数日後には普通に仕事に追われている。
まあ、考えてみればそうなのだ。タスクを並べ直したところで、タスクそのものが消えるわけではない。1時間かかる資料が10分でできるようになるわけでもない。メールを返す時間は必要だし、人と話して認識を合わせる時間も必要だし、Slackは整理したそばからまた増える。
では、タスク管理に意味はないのか。
最近思うのは、タスク管理が効くのは、効率性よりも「安心感」のほうなのではないかということだ。
自分の場合、仕事が進まないときは、手が遅いというより、頭の中がぐちゃぐちゃになっていることが多い。何からやればいいかわからない。全部やばい気がする。でも、何が本当にやばいのかはわからない。誰かを待たせている気がするし、見えない場所で何かが爆発しそうな気もする。
そういうとき、タスクを書き出して、「今日まずいのは、この3つぐらいか」と見えるだけで、少し楽になる。何も終わってはいない。ただ、仕事に向かえる感じにはなる。
ToDoリストは、ぼんやりした未来に仮の形を与えるものなのかもしれない。「なんかやばい」を、「これと、これと、これがやばい」に変える。状況がよくなったわけではないけれど、少なくとも正体不明ではなくなる。
だから、タスク管理は生産性を1から10にするものではなく、0.5になっているものを1に戻すもの、と考えるとしっくりくる。
ヘイストとかバイキルトではない。キアリクとかエスナ。デバフ解除である。
そして、ふと思ったのだけど、これはタスク管理だけではなく、生成AIそのものにも言えるのかもしれない。
生成AIの話は、すぐに生産性の話になる。資料を何倍速く作れるとか、何人分の仕事ができるとか、作業時間を何パーセント削減できるとか。もちろん、実際に速くなる仕事もある。
でも、自分が生成AIに助けられている場面を考えると、単純に作業が速くなったときより、何から始めればいいかわからないときに、とりあえず話しかけられたときのほうが多い気がする。白紙の資料を前にしているとき。返信を書くのが面倒なとき。考えがまとまっていないとき。仕事でうまくいっていないことが、なんとなく頭に居座っているとき。
別に、生成AIが正しい答えを出してくれるとは限らない。今回作ったタスク管理システムも、優先順位を普通に間違える。最終的に何をやるかは、自分で決めなければいけない。
でも、何もないところから一人で考え始めるのと、ひとまず雑に投げて、何かしら返事が返ってくるのとでは、けっこう違う。正しい答えというより、最初の足場ができる。
一人で全部を抱えなくていい感じがする。生成AIの効能も、仕事を1から10にすることより、混乱して0.5になっている自分を1に戻すことなのかもしれない。そう考えると、スクラムとかPMBOKとか、いろいろな方法論も、案外同じなのだと思う。急に人やチームを有能にする魔法ではない。ただ、認識のズレや不安や混乱によって、持っている力を失わないためにある。
バフではなく、デバフ解除。この見方を持っておくと、仕事術や生成AIとの付き合い方が少し楽になる。
タスク管理を始めたのに、全然仕事が減らない。生成AIまで使ったのに、生産性が爆発的に上がった感じもしない。そこで、「意味ないじゃん」と全部やめなくてもいい。
別に人生を変えてくれなくていい。朝、画面を開いて、今日やることを生成AIに整理してもらう。少し頭が静かになる。それによって、最初の一個に手をつけられる。
それなら、まあ、効いてはいる。
今日もタスクは減っていない。昨日から残っているものもある。生成AIが並べた優先順位が本当に正しいのかも、まだよくわからない。
でも、とりあえず一個には手をつけられた。今のところは、そのくらいで十分なのかもしれない。もう1週間ぐらい使ってみようと思う。



