中動態的キャリアパス
キャリアとは、どの程度計画されうるものなのか?
キャリアプランについて相談される時がある。
特によくあるのが、「キャリア形成について、どの程度計画していたか?」という問いかけだ。僕はこの手の質問に、いつも口籠る。
キャリアプラン、計画、計画、これらが持つ、“自分で能動的にキャリアを作る” という間隔が、僕自身にかなり乏しい。
新卒は外資の戦略コンサルに入った。きっかけは、大学の研究室の隣の席だった石渡が、マッキンゼーに入りたい、と言っていたから。マッキンゼーを知らなかった当時の僕は、その帰りに池袋のジュンク堂に寄って、就活本の「コンサル業界大研究」を読んだ。期せずして、面白そうだったので、先のことは深く考えずに、コンサル業界を志すことにした1。
メルカリは、誘われたから入った2。デジタル庁も、自分から入ったような、誘われたから入ったような、曖昧な感じだ(関連:国のダッシュボード作りませんか)。
メルカリの前にいたBrainPadは、唯一自分で考えて、選び、入った会社だった。理由は、データサイエンスの波が来ていたから。Googleの著名なエコノミスト3のSexiest Job of the 21th Centuryという表現は有名だが、2013年は、まさにその時期だった。
しかし、そのBrainPadは、最低でも3年はそこでデータ分析のキャリアをしっかり積む、と決めていたのだが、メルカリに誘われたことで、これも期せずして、1年半で辞めてしまう4。
そんな感じで、自分から選んで、いまのキャリアパスを設計して作りあげた、という感覚はない。
もちろん、完全な行き当たりばったりで、流されるままというわけでもない。ある程度、能動的に選んではいる。ただ、誘われたり、出会いや時代背景がきっかけになっていたりと、偶発性の要素も強く、見えない力に押されている、という気もする。かと言って、やはり完全に受動的なわけでもない。
これは何なのだろう?
能動 vs.受動、という単純な二元論を打ち破る概念として、哲学者の國分功一郎は「中動態」を提唱している。僕はこの概念が好きだ。
尊敬する respect、という動詞を考えるのがわかりやすい。
人は他人を能動的に尊敬するのか?能動的、とは自分の意志で行っている状態だが、他者を尊敬という気持ちは、少し違う。尊敬せずにいられない気持ちがあるから、思わず、意図的ではなく、ついついしてしまうものだ。では、相手に尊敬させられている、という受動態なのか?それも違う。
この曖昧さが中動態だという。
尊敬するっていうのは、「うわ、この人本当すげえ人だな」と思って、自然と僕の中に尊敬する気持ちが出てくるわけです。
ということは、その人によって、尊敬の気持ちを引っ張り出されてるとも言えますね。そういう意味では受動態かもしれない。でも、尊敬してるのは僕なんですよ。だからやっぱり、僕という主語はなくなっているわけじゃない。
ええ、これまさしく中動態ですね。
—國分功一郎、意志というフィクション(著者が語る)
この
尊敬の気持ちを引っ張り出されてる
のだが、
僕という主語はなくなっているわけじゃない
という点がポイントだと思う。
矢印で見てみるとわかりやすい。能動は自分から相手に向かう矢印、受動はその逆である。この場合、事象は自分の「外側」で起こる。
一方で、中動態は矢印が自分の内側で巡るような状態だという。この時、事象は自分の「外側」ではなく、自分の内部を場として起こる。5
中動態っていうのは定義が非常にシンプルで、「ある人(主語)が、この動作とか気持ちとかの『場所』になってる」っていうのが中動態なんですね。
だから、「尊敬する気持ちが出ている」。
ところが、能動/受動 っていうのは、この「矢印の方向」だけで考えてるわけなんですよね。僕がこっち(外)向いてたら能動だし、僕に矢印が向いてたら受動だ、っていうね。
でも、本当はそれじゃあ全然、今の「尊敬の気持ち」とかって、うまく説明できないですよね。
—國分功一郎、flier 公式チャンネル
僕は、キャリアとは中動態的なものなのではないか、と思っている。
自分→キャリア、と働きかける、(能動)でもない。ただ、自分←キャリア のようにあちらがやってくる、(受動)だけでもない。それは、自分を場として自分の中で何かが巡るプロセスだと考えると、イメージがかなり合う。
ある機会が、そのあたりに漂っている。もし、自分がその機会に対して、運よく準備ができていれば、その矢印が自分の中に入り、自分を場として、何かが起こる。
自分の能力やチャンスを、引っ張り出されてる感じ。
でも、僕という主語はなくなっているわけじゃない。
だから、キャリアは計画するもの、という感覚をあまり持っていない。
よく言われるように、クランボルツの「計画された偶発性」だと言ってしまえばそれまでなんだけど。でも僕には、中動態的キャリアとでも言ったほうがしっくり来る。
まあ、計画されたキャリアプランが悪いということではないと思う。でも、それでは辿り得ないパスが存在することも事実だ。期せずして、中動態的に、不思議なキャリアパスを通ってきたが、僕は、自分の仕事人生をそれなりに気に入っている。
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中動態については、國分功一郎先生本人が解説している動画を是非見てほしい。
なお、当の石渡は順当に大手電機メーカーに行った。草。
ちなみに、GoogleのそのエコノミストはHal Varianだが、いま通っている大学院のミクロ経済学の講義では、彼の教科書 microeconomics analysis が使われている。不思議な縁だ。
このブログでもよく出てくるsoramiはこの時のチームメイトだが、楽しく一緒に働いていたところで、僕が辞めてしまい、未だにこの時のことを恨まれている。



