デジタル庁の入っているビルは、外来客も多かったりと、時間によってはエレベータが少し混みあう。そういう時、僕は一本待つことにしている。そうすると、前の便にみんなが急いで乗り込んだ分、次の便に乗る人は少なかったりする。快適。
乗ってる人が多ければ、その停止階も多い分時間が掛かる。だから、一本待った方が先に着いたりする。各駅停車を乗り過ごして、快速電車に乗るような気分。
ところで前に少し書いた通り、先日narumiさんと珈琲を飲みに行った。ちなみにnarumiさんは本名が「鳴海淳義」らしい。知らなかった、漢字の字面が強いが、本人の雰囲気とマッチしてる。これで活動すればいいのに。
アンチAIとか色々と話したが、一番印象に残ったのは「幸せのコツは人の真似をしないこと」という彼の考え方。その根底として「人の真似をするのはコストが高い」と云っていた。これが興味深いなと思ったので、掘り下げて考えてみる。
真似とは「混雑」
エレベータもそうだけど、真似をするとは突き詰めると「混雑」に身を投じるということだと思う。色々な混雑――空間の混雑 / 時間の混雑 / 価値観の混雑。
空間の混雑。東京に住む、人気のタワーマンションに住みたい、これは金銭的にも明らかにコストが高い。観光地、話題の店、ナイトプール。値段も高いし、絶景を人混みの頭越しに見る羽目になる。真似をする、とは「それを味わうには条件が一番悪い瞬間に高い金を払う」戦略のことに思える。
時間の混雑。他の人と同じ時間にエントリーすると、どうしても競争が激しくなる。今の時期にAIについての解説で戦うのは、余程のオリジナリティがないと厳しいし、何より疲弊する。流行り物を買うとか、話題のチケットを取るとかも同じ。年末年始・GWの帰省と旅行もずらせるなら、そのほうがおサイフにもカラダにも優しい。
価値観の混雑というのもある。人が多い楽しみは、優劣が伴うものも多い。「トップオタ」「太客」という言葉があるように、ファンの中にも序列がある。みんなが使うハッシュタグは、埋没しやすい。人気の職業を目指せば、競争が激しくなる。人気のものほど上には上がいて、勝てない競争に巻き込まれがちだ。
混雑は「資源の争奪」になる。空間の混雑は「場所」を奪い合う。時間の混雑は「タイミング」を奪い合う。そして、価値観の混雑は「序列」を奪い合う。いずれも中心からずらせば逃げられるのに、みんなそうしない。
これらが明確に個々人にコストとなり振ってくる。narumiさんは世の中の多くのことについて「この競争、別にする必要無くね」と思っているのだと思う。潔い。
社会の敵
その一方で、
narumiさんのような人間は「社会の敵」じゃないかという気もする。
人はなんでかんで混雑を愛する。みんなと一緒に話題にノリたい、大きな流れの一部でありたい、その瞬間のわちゃわちゃ感が好きだ。バーゲンで商品を取り合う、Apple Storeに朝から並ぶ、話題商品の在庫入荷を待つ、同じアイドルを追いかける。花火大会に行く、海開きに行く、紅白を見る、クラブチームのユニフォームを着る。
何故か。個人の立場では混雑は煩雑だが、社会としては混雑のほうが都合が良い理由が多々ある――だから、社会を上手く動かすために、我々には「混雑」を受け入れるように出来ているのではないか?
満員電車がQoLを下げようとも、全員が9時に出社したほうが管理がしやすい。全員がユニクロを着たほうが、製造コストも流通コストも下げられる。
全員が密集して住んだほうがインフラコストが安い。これは今の日本でも深刻な問題で、過疎の進行で、水道や病院、交通などの効率が下がる問題を抱えている。コンパクトシティなどが言われているのはそのせいだ。
祭りや流行り、儀式で価値観を揃えていくのも社会としては重要だ。以前に「儀式とは協調問題を解くために存在する」という話を少し書いたが、人が同じ場所に集まるのは「全員で同じものを目撃した」という社会的な信念の形成に必要だ。そのほうが社会のコストは下がる。
混雑によって、社会はコストを下げている。真似=混雑は、個人にとっては煩雑だが、社会全体には益をもたらす。だからこそ社会は混雑を創り出すし、人々はコストを払いながらも混雑に参加する、そう設計されているんだろう。
それに、混雑は「自分が一人ではない」ことの確認させてくれる。混雑は、自分が群れの一員だという自認をくれる。並ぶのはコストかもしれないが、そこに「ひとりじゃない」という商品がバンドルされて売っている。だから人は混雑を愛する。
「真似」をしていれば実はみんながハッピーなのだ。
混雑のコストに気づいてしまったnarumi氏。
そこから降りようとしてしまった彼は、社会の敵なのだ。
真似と混雑の倫理学
しかし、
narumiさんは、実際には「混雑を受け入れないタイプの人」ではない。
オアシスのライブに行ったと言っていた(壮絶な倍率、僕は落ちた….)し、沢山の観衆と一緒に、西武ライオンズのファンをやっている。真似をしない、つまり混雑を一方的に嫌うのとはむしろ逆で、くだらない混雑に巻き込まれないようにしているから、本当に並びたいものに、ちゃんと並べるのではないだろうか。
混雑は本質的には個人の敵で、社会の味方。でも、実は個人は混雑が嫌いじゃないという側面。僕たちは「混雑」とどう付き合っていけるだろう。
大事なことは真似をしないこと自体ではない。ユニークであれとか、群れから出よとか、そういう哲学はわかりやすくて称賛されやすい。でも、真似や混雑には、世界を回すために意義がある。単に人の真似をしない、という美学では、実は一番浅いものにしかならないのではないか。
大事なのは、どの混雑にならコストを払ってもいいかを自分でちゃんと選ぶこと。気にならないものは真似でも全然いいと思う。でも、真似のためのマネ、混雑のための混雑は程々にしたい。どこまで混雑に身を投じても、孤独が完全になくなるわけじゃないし。
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哲学者カール・ポパーは『開かれた社会とその敵』という本で、みんなを揃える行為=ここで書いたところの「混雑」を、「開かれた社会の敵」と呼んでいる。この思想では、narumiさんは社会の英雄かもしれない。
narumiさんは社会の敵?英雄?まあどっちでもよいだろう。
...そんな事を考えながら、
急いで乗り込む人たちを尻目に、僕は次のエレベータを待つ。



「単に人の真似をしない、という美学では、実は一番浅いものにしかならないのではないか。」
→単に天邪鬼な行動をとるという人もいそうだなと思いました。浅いかも。それで思わぬ出会いがあって面白い展開に…とでもなれば違ってきそうですが、元々の美学がなぁ🤔
「大事なのは、どの混雑にならコストを払ってもいいかを自分でちゃんと選ぶこと。」
→自分が好きなこと、どうでもいいこと、どうしても嫌なことを意識することの大切さをしみじみ理解してきた(なんか変な日本語ですかね😂)今日この頃です。