広場 / スタジアム / 郵便
最近、「定期的に飲みに行きたい人リスト」というのを作っている。
Xのタイムラインが、完全に壊れている。
調査によれば、2026年時点で、Xでの投稿が自身のフォロワーに届く率は、フォロワーの3%以下、Facebookでは2~6%程度だという。非常に低い数字だが、実感値としては、もっと低い気がする。
XもFBも、ソーシャルグラフではなく、“インタレスト”グラフ、を信奉する場に変わったということだろう。
SNSにおけるフォロワーというのは、決して自身に帰属する資産であるわけではない、という事実を痛感するInstagram Storyなど、一部の機能だけが、直接のフォロワーとの関係を大事にしている。なぜTwitterはフリートを残してくれなかったのか。
ここで思うことは、我々は、“宛てる勇気”を持つ必要に迫られている、ということだ(我々と言うよりも、僕が、かもしれないが)。
大学にいた頃、ラウンジと呼ばれる学生のたまり場があり、僕はそこが好きであった。同じサークルに属していたメンバーのうち、時間を持て余している人間はそこに顔を出すという習慣があった。
そうして、自然と集まりが形成され、飲みだの麻雀だのが発生する。二つの授業の合間に個々に顔を出したがために、授業をサボることになる人間も多かった。
直接的に連絡を取り合わずとも、繋がりができる場所。気楽なものである。SNSにはそういう良さがあった。SNSは広場であった。そこに行けば、人がいた。誰にと云わず、呟けば、そこから会話が始まる。
SNSはかつて、広場であった。今は、巨大な広告ビジョン付きのスタジアムである。資本を持っているものが流す広告が、喧しい。大衆は、人同士ではなく、中央のステージを凝視している。今ステージでアツいのは、「AI」やら「トランプ」やらだろうか。人は、野次をぶつけるだけで、会話をしていない。親密な声は、スタジアムの雑音で掻き消えてしまう。
だから、大切な相手と話すには、閉じた場所で直接メッセージをする必要がある。
いや、それは以前から当たり前のことだった、と言われるかもしれないが、臆病な僕には意外とこれが難しい。誰かに直接「宛てた」連絡をするのが、苦手なのだ。
だからこそ、広場的だったSNSが好きだったのだと思う。
しかし、広場から人は消えつつある。いまや、再び郵便の時代だ。メッセージは、宛先を明示すること。関係を続けたい人には、勇気を出して、直接連絡をする必要がある。たとえ苦手だとしても。
ここ最近は特に、会いたい人、話したい人には臆せずに直接DMを送ろうと心掛けている。その一環として、冒頭の「定期的に飲みに行きたい人リスト」を作った。みなさんに、突然連絡することもあるだろう。みなさんも、もし僕と話したいと思ってくれたら、一抹の壁を乗り越えて、連絡してきてくれると嬉しい。
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