デジタル庁でやっている「Japan Dashboard」がアワードを受賞した。
候補の選出プロセスに我々は特に関与していないので、どなたが推薦してくださったのだと思うが、ありがたい話である。審査員コメントの一部は下記のとおりである。
選考委員より
日本がオープンデータにおいて、世界の先頭集団に入りつつあることを実感させる作品だ。デジタル庁という存在そのものがまだ若い。しかし、そのデザインシステムのシンプルさと頑強さには驚かされる。飾らず、壊れにくく、使いやすい。
良いデザインとはまさにこういうことだ….(中略)
Japan Dashboardは2025年に公表した取り組みである。至らないところは未だ色々あるが、このような名称・位置づけのプロジェクトを政府として公開できたことは、僕がデジタル庁に参画した頃からすれば、隔世の感がある。
2022年に、デジタル庁がデータ分野の専門人材を募集した時、僕は残念な思いで見ていた。まず思ったのは、これは大変そうだ、ということだ。データを使ってなにか、、的なノリで新しいことを立ち上げるのは、民間事業でも十二分に苦労する…それを政府の中で?しかも、掲げられた募集背景はお題目で、具体性が感じられなかった(実際に、募集の発起人の方には全く具体構想がなく、入庁3日目には僕は絶望していた)。
次いで思い浮かんだのは、ふたつのシナリオだ。1.「国の仕事をする俺かっけー」的なノリで、大した実力も無いが、多少知名度はある目立ちたがり屋さんが入るか 2.データには造詣があるが、調整能力や事業構想力のない、口とお手々だけを動かすのが好きなデータサイエンス屋さんが呼ばれるか。
どちらにせよ、正しい物事が正しく動くことにはならないだろう。政府内では、データという幻想に関する失望が、また一つ刻まれる。残念なことだ。
そこまで考えて、自分がやるべきなのではないかと、ごく自然に思った。この時の心の動きは、自分でも不思議に思う。ただ、(面倒なのは間違いないが)自分にならうまくできるはず、と思えることを、やりもせずに周囲から冷笑している自分が嫌になったのだろう。
どうせ放っておいても、誰かがやる。恐らくは上に挙げたような誰かが。だったら、自分がやるほうがマシなのではないか。不遜な勘違いかも知れないが、そういった想いが、理屈ではなく、内面から湧いてきた。
幸い、デジタル庁に参画していた知人が何人かいた。僕はデザイナーのyuiに相談した。2022年の2月某日に、XでこんなDMを送ったのが残っている。
(hikaru) なんかこれ、ちゃんと募集要項みてたらまさに自分のことなんじゃないかと思えてきた
同じ2月某日、yuiからは(特に前後の文脈はなく)こんなDMが来ていた。
(yui) 国にまつわるKPIダッシュボードつくりません🥸🥸🥸か
こういうことを唐突に送ってくるのも、絵文字の使い方も、彼女らしい。国のダッシュボードは確かに面白そうだが、そんなことが出来るものなのか、どうやったらできるのか、さっぱり検討もつかなかった。そんな蒙昧の中、僕は2022年の4月にデジタル庁に入ることになる。
入庁後、最初の半年、マイナンバーカードの数値をダッシュボード化してリリース(2022年12月)するだけで、精根尽き果てていた。霞が関の流儀、省庁を超えた調整の困難さを知ることとなった。
一つの政策を扱うだけで、この工数である。国全体を扱うとなると、どれほどの時間が必要になるのだろう?僕は頭を抱えるしかなかった。
時は流れる。
経緯はさておき、2025年7月には、Japan Dashboardを公表した。前述の通り、至らないところは未だ色々あるが、国のダッシュボードと呼べるものの礎ではある。
先日(2026年3月)には、2022年12月のリリース当時には簡素だったマイナンバーカード普及状況のダッシュボードを、指標を大幅に拡充しリニューアルした(こちら)。2022年の当時はダッシュボードの取り組みについて、行政関係者の多くの賛同を得るのが難しく、公表できる指標は限定的であった。3年が経ち、ダッシュボードに対する行政官僚の眼差しも変わってきているように思う。もちろん、マイナンバーカードも人口に広く膾炙したこともある。少しづつだが、社会は変わるし、人も変わる。
この4月で、入庁からのちょうど4年が経つ。色々な人と出会い、多くのことを学んだ。霞が関の特性について、政策の見える化の意味合いとハードルについて、各省庁の人脈について、政策のKPIが書かれた政府文書の実効性について、国の言うEBPMについて。
しかし、最も大きな学びは、1に「どんなに困難と思えるものも、やってできないことはない」ということ、2に「大きな達成は、多くの偶然に寄って支えられてる」 ということかもしれない。そして、最後に「変わらないと思っているものも、ゆっくりであれば変わるかも知れない」である。
この4年間に何があったのかは、機会があれば改めて書ける範囲で書いてみたい。



