「新しいAI活用法とか、どうやって思いつくんですか」と聞かれることがたまにある。
2年前ぐらいから、生成AIエバンジェリストなる怪しい肩書きを名乗っていて、今は株式会社Explazaという業務プロセスのAI化を支援する会社のCPOとしてもやっている。
一応、Xとかで生成AI活用法とかについて、あることないことつぶやいてきていて、いつの間にやらフォロワー15,000超えたりしていた。そこそこ、生成AIの活用法については、参考にされてきている方だとは思う。
いや、ほんとうに自分がうまく使えているのかは、正直自分でもよくわからない。ただ、外から見ると、なんか新しい道具の変な使い道を思いつく人っぽく見えているらしくて、それはそれでありがたい。
そういうとき、わりと雑に「本能です」と答えていた。別にかっこつけているわけではない。新しいツールを触ると、これはこう使えそうだなとか、あの面倒な仕事を別の形にできそうだなとか、これとあれをつなぐと変なことができそうだなとか、勝手に思う。なので、本能です、としか言いようがなかった。
でも、まぁ、一応、たぶん本能ではない。
振り返ると、自分は昔から、道具の「普通の使い方」にあまり興味がなかったのだと思う。
2年前ぐらい、ワークフローツールDifyを使い始めたころも、世の中的にまぁ、ちょっとした便利な、チャットボット作成ツール、みたいな見られ方が強かった。自分は、ガチで、ビジネスで使える、コンテンツ生成ツールとして実践投入したりしてた。
今では生成AIでコンテンツ制作を自動化する話も珍しくないが、当時、Difyを記事制作のラインとして本格的に使っている人は、自分の周囲ではほとんど見かけなかった。
ノンエンジニアの、PM活用法の仕組み、AIPMとかもそうだった。

Cursorは、基本的にはエンジニアがコードを書くための道具だった。使っている人たちも、当然のようにプログラミングの話をしていた。そのころ自分は、Cursorの中にプロダクトマネジメントの進め方を丸ごと入れられないかと考えていた。
今でこそ、CursorやClaude Codeなどをコーディング以外に使う話も増えてきた。でも、AIPMを作り始めたころ、ノンエンジニアがCursorを使ってプロダクトマネジメントをする、という発想は、少なくとも一般的ではなかったと思う。公開したら想像していたより使われて、いまでは企業研修の話にまでなった。自分としては、そこまで変なことをしているつもりもなかったので、反応があったことに当時驚いた。
最近だと、GOALだけAIに渡すと、あとは勝手に、探索して、計画して、実行して、レビューして、ずれていたら前に戻る、という一連の流れをゴール達成まで回し続ける、AI-PLCという仕組みを作った。
人間がAIを操作するのではなく、AIのほうが仕事を進めていく形にできないか、という実験である。
もしよかったら、結構便利だと思うのでつかってみてください。
うん、宣伝っぽくなってきたので、このへんでやめる。
こうして並べてみると、いつもやっていることは似ている。ガチの記事を書くための道具ではないものを、記事制作に使う。コードを書く道具を、プロダクトマネジメントに使う。人間がAIを操作する仕組みを、AIのほうが仕事を進める仕組みに変える。道具の説明書に書かれた用途から、少しだけ外れたところを見ている。
では、なぜそういう使い方、が、まぁちょっとだけ、いろんな人の参考になっているのだとしたら、なぜそういうのを思いつくのか。
よく考えると、普通に本を読んできたからだと思う。
えーと、もう少し広げると、漫画とかアニメとかゲームとか、そういうものを浴びてきたからだと思う。
もっと雑に言えば、「こういう世界だったらいいのに」という妄想だけは、やたらと溜まっているから。
新しい技術を見たとき、多くの人は、その技術に何ができるのかを見る。
自分はたぶん、それより先に、前から気持ち悪いと思っていたものを思い出す。
なぜ記事制作は、一人の頭の中にある工程を毎回手作業で繰り返すのか、毎回チャッピーとやりとりして、右往左往しながら作るのか。なぜプロダクトマネジメントの知識は、教科書やフレームワークとして存在しているのに、実際の作業になると個人の経験と根性に戻ってしまうのか。
そういう、前から持っていた不満に、新しい道具が引っかかる。
テクノロジーの話は、すぐに便利さの話になる。
効率化できます。自動化できます。誰でもできます。コストが下がります。速度が上がります。もちろん大事である。仕事なので、速くなったり安くなったりするのはいい。ただ、それだけだと、なんというか、少し退屈でもある。
新しい道具が出てきたときにおもしろいのは、今までやっていた作業が少し速くなることだけではない。今まで存在しなかった変な欲望が、急に形を持ち始めることだと思う。
これまで大きな組織にしかできなかったことを、個人ができるようになる。頭の中にしかなかった仕事の進め方を、ワークフローやプロンプトとして外に出せるようになる。専門職の人間が暗黙のうちにやっていた判断を、完全ではなくても、道具の中に置けるようになる。
そうなると、道具はただの道具ではなくなる。
たぶん、自分はそこに反応している。自分の中には、社会や組織や仕事の進め方について、なんとなく「こうであってほしい」という理想、思想、考えがある。
自分はたぶん、道具そのものではなく、その向こうにある仕事や組織の型、理想系を見ている。
ただ、理想への憧れ、そして現実の不満、それだけでは何もできない。不満は、だいたい愚痴になる。あるいは、思想になる。どちらも嫌いではないが、それだけだと、まあ気持ちよくなって終わる。
そこに道具が来ると、少し話が変わる。これは試せるのではないか、と思ってしまう。大げさな革命ではなく、明日の仕事の進め方を少し変えるくらいの単位で。
会議の前に、資料の作り方を変える。プロンプトを一本直す。ワークフローをつなぐ。誰かの頭の中にしかなかったものを、雑にでも外へ出す。そういう小さなことをしていると、理想が一瞬だけ現実につながってくる。
まぁ、でも、もちろん、思いつきは、だいたいうまくいかない。
Difyのフローはすぐ壊れるし、作るの面倒だし、CursorやClaude Codeは思ったように動かない。でも、うまくいかなかったときに、「この道具はダメだ」と言うだけではなく、「自分が考えていた、こうあるべきと言う理想系、仕事の型のほうがだめだったのかもしれない」とわかることがある。
実際、Difyで記事のフローが壊れたとき、よく見ると、壊れていたのは道具ではなく、自分の頭の中にある俺の考える最強の工程イメージのほうだった。
一直線に進むと思い込んでいた作業が、実際には途中で何度も前に戻っていた。構成を書いてから調べ直すし、書きながら構成を捨てる。フローとして外に出して、初めてそれに気づいた。道具を使うことで、理想の側も修正される。
理想が現実を変えるのではない。現実に少しだけつながった理想だけが、少しずつ形を変えながら、磨かれていく。
テクノロジーは、基本的にはHowである。どうやるかを拡張するものだ。でも、Howだけが増えても、あまり意味はない。何でもできます、と言われても、何をしたいのかがなければ、ただ困る。不思議なポケットがあっても、「あんなこといいな」がなければ、取り出すものがない。
だから、新しい道具を使うのがうまいとか、使えないとかいう話の手前には、別の問題があるのだと思う。自分は何に不満を感じているのか。何を変えたいのか。何は変えたくないのか。どういう世界なら、今より少しマシだと思えるのか。
そういうものがないまま、使い方だけを聞かれても、けっこう困る。もちろん、そんなことを面と向かって言うと感じが悪いので、実際には「こういう使い方がいいですよ」と答える。でも本当は、使い方より先に、使いたい理由のほうが大事なのではないかと思っている。
「使いたい理由」は、どこから来るのか。
ここで、人文知という言葉が少し関係してくる。ただ、「人文知が大事です」と言うと、すぐに教養の話になって、うざくなる。
哲学者の名前を知っている。思想史を語れる。文学を読んでいる。引用ができる。もちろん、知らないよりは知っていたほうがいい。でも、知っていること自体が偉いという話になった瞬間、かなりつまらなくなる。
大事なのは、知識そのものというより、それを使って、今ある現実が唯一の形ではないと考えられることなのだと思う。
目の前の仕組みは、誰かが作ったものである。いま当然だと思われている仕事の進め方も、組織の形も、サービスの形も、別の形でありえた。そして、これから別の形に変えることもできる。
本や漫画やアニメやゲームは、そういう別の世界を大量に見せてくれる。どんなルールなら人は自由になれるのか。どんな制度だと人は壊れるのか。正義はどこで腐るのか。共同体は人を守るのか、それとも閉じ込めるのか。そういうものを見続けていると、自分の中に「あんなこといいな」と「これは絶対に嫌だ」が溜まっていく。
たぶん、新しい道具の使い方は、そのあいだから出てくる。
道具について詳しいから、使い道を思いつくのではない。今あるものに不満があって、別の形を知っているから、道具を見た時に、なにかが自分の中に引っかかる。
だから、やはり本を読むのは大事なのだと思う。
漫画を読むのも、アニメを見るのも、ゲームをするのも、たぶん大事だ。別に教養人になるためではない。偉そうな引用をするためでもない。自分の中の「あんなこといいな」を増やすためである。あるいは、「これは絶対に嫌だ」を増やすため。
その両方がないと、道具はただの道具のままだ。
たぶん自分は、世界をよくしたいというより、今の世界にあるいくつかの気持ち悪さを、少しだけ別の形に置き換えてみたいのだと思う。
もし、生成AIについて、もっともっと面白くつきあいたいという、そこのあなた。
世界への革命の意思、それが先ということです。
よろしくお願いします。





