先日の言語化ビルヂングはいい記事だった。
配信した朝に、soramiから「記事が良かったのでなんか悔しいけどマクドきた」とメッセージが来てそれだけで満足した。いや、マックは主眼じゃないんだけど。
あの記事を世間がどう評価するかはわからないが、どこが良かったのかと言えば、Aが正しい→いやBだった→でもやっぱA….という、“主張の往復運動”という現象に「ビルヂング」という概念の比喩を与えたところだろう。
この名付けはかなり迷った。最初は「主張のビッグマック」で、途中で「言語化の塔」に転換し「言語化のビル」を経て、結局「言語化ビルヂング」になった。
概念に名を与える
複雑な概念に、比喩的な名称をつける。
yamottyと、僕が過去に書いたnoteについて話したとき、彼が一番印象に残っている記事は、良いKPIとはなにか、あるいはガールズバー施策だと云っていた。
確かにこの記事は根強い人気がある。内容自体にも自信はあるが、それ以上に「ガールズバー施策」なる新しい概念を、キャッチーに定義したのが効いている。初めて会った人からも、「読みました。社内でもガールズバー施策を止めようと言っています」などとよく言われる。
意味を正確に説明すると長くなるが、短い名前のラベルを与えると多くの人が気軽に使い出す。これはよくある現象だ。「心理的安全性」なんかも、そうかも知れない。お互いが気兼ね無く発言ができる環境が大事的なことは、Googleが言うまでもなく多くの人が気づいていたが、そのニュアンスをパッと伝えるのは難しかった。実際に、Google Re:Workプロジェクトの心理的安全性の意味についての説明も、短くはない。
それを「心理的安全性」という手のひらに載せられる、簡単なフレーズに落とすと、多くの人が使い出す。
….
心理的安全性のような用語もいいが、もうちょっと「現実の別のもの」を喩えに混ぜ込んだ概念名称の方がよりカッコいいなと思う。
認知言語学に概念メタファーという考えがあって、これは「ある概念領域を、別の概念領域を用いて理解する事」だ。例えば、「草食系男子」とかは、男性の行動を動物の食性という別の概念を用いて喩えている。
経済学や哲学分野でも概念メタファーは多くて、
そいつらがなんだかカッコいい。
囚人のジレンマ、割れ窓理論、部屋の中の象、トロッコ問題、シュレディンガーの猫、中国人の部屋、不幸なソクラテス。…誰もがつい使いたくなってしまわないだろうか。ある理論の社会浸透度1は、この概念メタファーの秀逸さ・格好良さがかなりの大きな変数ではないかと思える。
これは人類の「偉大な発明」のひとつだと思う。思想や理論は、そのままではとっつきづらい。一方で、ナラティブや物語やキャッチーな単語であれば人は使いたがる。良い概念メタファーは、“固い真理”と“柔らかい物語”のブリッジとして機能する。
ゲーム理論における均衡問題、と言われるとウッとなる。でも、囚人のジレンマというエピソードの体でラッピングすることで、手に取りやすくなるし、人にも渡しやすくなる。真理と物語、それぞれの問題を上手く補完しあうための道具。
…
概念警察
でも問題もある。概念をコンパクト化したワードは多くの人にとって使いやすい故に、誤用をされるシーンもその分増えそうだ。
僕もたまに誤用の現場に遭遇する。
最近だと、ライフワークバランスと仕事の成果のトレードオフを「トロッコ問題」と表現している人がいた。“本業が多忙な故に、新しいチャレンジをする余裕がなく、我々は「イノベーションのジレンマ」に陥っている”と、書かれた資料を見かけた。
これらは元の概念的には、だいぶズレた用法だ2。でもそれを指摘するべきか、いつも悩む。大概の場合、周囲の人は頷いている。なんとなくは通じている様子だ。まあいいか、そう思い、結局ちゃんと指摘をすることは少ない。
世には「概念警察」的な人たちもいる。「それはイノベーションのジレンマじゃありません キリッ」言いたくなる気持ちもわかるけど、そういうのは端から見るとちょっと鬱陶しい。
これは感覚的になるんだけど….ぼくらはこの世界をうまくやっていくために「真理の固さ」と「物語の柔らかさ」みたいなものを上手くバランスさせないと行けない気がしていて、概念警察はその敵という気がしている。だから嫌いだし、自分もそうなりたくない気持ちがある。
人が概念メタファーを使うのは、元々は難しいものを柔らかく伝えるための「優しい技術」なのだと思っている。でも、過度な概念警察には優しさがない。それは本懐ではない気がする。もちろん、概念には正確さが必要だ。でも、通行が全くない交差点で張りこんで、1kmのスピード違反を「ルールはルールゥゥ!」と叫びながら厳しく取り締まる警察がはびこるのが良い世界とは思えない。
僕の元々の仕事はData Analystで、職業的には概念定義にかなりシビアな立場3だ。でも、データアナリストのような職業をやっていたからこそ、概念の扱いに対する優しさ、やわらかさの必要性には人一倍敏感で、概念取締法は過度に窮屈な法体系になってほしくないのである。
蛇足:こどもと概念取締法
ちなみに、こどもは概念取締法違反の常習犯である。「概念犯罪刑務所」があれば、そこは幼児だらけになるだろう。保育園と変わらない。
例えば、ムスメは煎餅を割ることを「やぶる」という。「われる」という概念自体は知っている。おもちゃがわれた、コップがわれちゃう、普通に使う。しかし彼女の中では頑なに煎餅は破るものである。そうだね、せんべい割ろうね、とやんわり修正するがずっと直らない。軽度の概念違反だが、再犯率が高い。
しかしながら、これについて勝手な予想がある。彼女の中で、「紙を破る」などの能動的で楽しいこと、割れるは「ものが壊れる」といった受動的に起こるネガティブなことで、能動的に割るっていうのはあまり発想にないのかもしれない。
本当のところはわからない。彼女自身にもわからないかも知れない。こういうことが無数にある。無理に正さなくてもよいし、しないほうがいい気もする。
概念取締法は未就学児には非適用としたい。
そういえば諸所の法案審議も大詰めの時期か。霞が関の皆様、お疲れ様です。
一般人の認知度、という意味での普及
新規事業が本業の利益を奪いかねない、という逡巡という意味合いが本来。
例えば、普通の人は「利用者の継続率」などという。データアナリストはそれだと仕事ができない。「利用」とは購入か、単なるアプリ閲覧か?「継続」とはある日を起点に1週間後か、1ヶ月後か?起点のある日とはどこか。商品を買った後にキャンセルした場合は「継続した」に含むと考えるか?



言語化ビルヂング、大好きでした。
言語化だ!いや、言語化に依存してはいけない!と揺れる気持ちが昇華されました。
今日の記事を読んで、「概念に名前を与える」は、「いい感じの悪口を言う」ことにちょっぴり似ているなと思いました。
悪口自体よりもユーモアある言い回しが勝れば、悪口が明るくなるように、概念ネーミングが強いほど一人歩きし始めるのかもしれませんね。
頭の硬いわたしは、端的に短く表現することが苦手。ましてや概念に名前をつけるような事は想像の外です。さらに他の人に「それいいね」と言わしめるなんて、つけた人尊敬します。
すごく考えた末に決めるのですね。案が複数浮かぶことがもうすでにすごい。
割と言葉の細かい間違いに反応する方だと思います。
でも指摘を我慢する。するとお腹の中が気持ち悪い感じが残る。
折り合いをつけるために「…伝わってるからいいか…」と小さく心の中で呟きます。
「伝わりゃいーのよ、伝わりゃ(キリッ←使いたかった😂)」とはならないところにひとり性格を感じます。
娘ちゃんの「せんべいやぶる」、いいですね。
たしかに楽しい行為ですね。面白い。
ぜひ大きくなった時に教えてあげてくださいね。