ふたりは実際にそういうタイプの奴らだ。
-- 「この国にチャイムを」
いきなり記事に自分が登場してふいた。
hikaruさんと十二時にランチへ行く約束をしている。けれど、十二時になっても自分とsoramiさんは黙ってパソコンに向かっている。時間に気づいていないのか。気づいているけれど、まだ作業を続けたいのか。残る一人も声をかけるのをためらい、そのままランチの予定が流れてしまう。
うん、めっちゃありそう。
自分は、仕事を始めるのもそんなに得意ではないが、いったん始めると止めるのもかなり下手である。前にそんな記事も書いた。
あと一行だけ。ここまで終わったら。せめて形になるところまで。そう思っているうちに昼を過ぎ、夜を過ぎ、眠いのになぜかパソコンを閉じられなくなる。
だからまあ、たしかに、十二時にチャイムが鳴っても、普通に無視する側だと思う。すいません。いや、なにもやってないんだから、あやまらなくてはいいはずだ。すいませんくない。
記事では、そこでチャイムが鳴る。
三人が十二時だと知るだけではない。ほかの二人も十二時だと知ったことを、それぞれが知る。自分だけが気づいているのではない。みんなが同じものを見たことを、みんなが知っている。
だから、「そろそろ行きますか」と声をかけやすくなる。
政策ダッシュボードとは「チャイムのようにあるべき」ものなのだ
— 「この国にチャイムを」
政策がどこまで進んでいるのか。それを関係者の誰かだけが知っているのではなく、誰もが見られる場所に置く。
誰かが知っている、では足りない。みんなが同じものを見ていると、みんながわかっている。その状態をつくる。
たしかに、それはチャイムなのだと思う。
国にも会社にも、人の頭の中に、立派な戦略はたくさんある。ロードマップもある。計画もある。未来像もある。
けれど、いま実際に何が起きていて、どこで止まっているのかを、関係する人たちが同じように見ているとは限らない。
自分は問題だと思っている。でも、ほかの人もそう思っているのかわからない。ひとりで騒いでいる気がして、声を出せない。
誰かが困っているらしい。でも、どこで、どのくらい困っているのかは見えない。公然の場所に情報が置かれるだけで、人が動きやすくなることはたしかにある。
ただ、政治は三人のランチよりは、少しだけ難しい。
チャイムが鳴って、十二時だという事実を全員が知っても、全員が同じ店へ行きたいとは限らない。カレーが食べたい人もいれば、今日は昼食にお金を使いたくない人もいる。席を立ちたくても立てない人もいる。
同じ情報を見たからといって、事情や価値観の違いまで消えるわけではない。
それでも、誰かが、えいや、と席を立つ。
「とりあえず、どうしますか」と声を出す。
そう、チャイムがなっても、行動しなければ意味がない。
これまでの民主主義論はどちらかといえば、むしろ立法権中心であった。
このような立法権中心主義によって、覆い隠されてしまったものがあるとすれば、その最たるものが執行権の問題であろう。— 宇野重規 若林恵 「実験の民主主義 トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ」
政治の話は、どうしても「誰を選ぶか」「どんな法律をつくるか」という話になりやすい。
多くの人にとって、政治に関わる方法も、ほとんど投票だけである。もちろん投票は大事だ。めちゃくちゃ大事。投票だけでは変わらないから、投票しなくていい、という話にはならない。
でも、決めたことが暮らしまで届くには、まだその先がある。
誰が、どのように実行するのか。現場ではどんな運用になるのか。動かした結果、何が起きたのか。思っていたのと違ったとき、誰が、どう直すのか。
決定が実際に誰かの生活に触れるのは、「執行」のところである。
そしてたぶん、執行は、偉い人が決めたことをそのまま下へ流す作業ではない。
小さく始める。動かしてみる。起きたことを見る。間違っていたら直す。
うまくいくこともある。全然うまくいかないこともある。善意で始めたものが、別の誰かを困らせることもある。
正しい答えを一発で当てるのではない。やってみて、起きたことを見て、少し直す。その面倒な往復まで引き受ける。
執行して、間違いが見えるからこそ、民主的に修正できる。
自分は普段、IT業界でPMという仕事をやっている。
何か新しいサービスをつくる。問題を見えるようにする。選択肢を並べる。決めたことを記録する。
それも大事なのだけど、最後には誰かが「では、次にこれをやりましょう」と言って、実際に動かし始めなければならない。
命令するほど強くはない。全員を説得できるほど正しくもない。
とりあえず、ここからやってみませんか。違ったら戻しましょう。やってみてから、もう一度考えましょう。
PMは、小さな行政みたいな仕事だと思うことがある。
もちろん、社会はプロダクトではないし、市民はユーザーでもない。国は、使ってくれない人や採算の合わない人を「対象外」にすることもできない。
それでも、抽象的な方針を、誰かの生活に触れる形へ変えていくこと。そこで起きたことを見て、また直していくこと。その泥臭さのなかには、少し似たものがある。
そんなことを考えていて、メルカリにいたころのことを思い出した。
あのころ、hikaruさんはデータサイエンティストをやっていて、自分はPMをやっていた。
彼がデータを出す。何かが起きていることを、みんなが見られるようにする。数字の変化を持ってくる。それまでなんとなく感じていた違和感を、確かにそこにあるものとして見せる。
チャイムを鳴らす。自分は、その音を受けて動く側だった。人に話を聞く。何が起きているのかを考える。施策をつくる。仕様を変える。とりあえず試してみる。
そして、動かしたあとに、またデータを見る。もちろん、毎回そんなに美しく回っていたわけではない。
チャイムが鳴っているのに聞こえないふりをしたこともある。勢いよく席を立った結果、全然違う店へ着いたこともある。データを眺めながら考えすぎて、何もしないまま時間が過ぎたことも、普通にあったと思う。
それでも、いま振り返ると、あのころ自分たちがやっていたのは、チャイムと行動の往復だった。
何かが見える。誰かが動く。動いた結果が、また見える。違っていたら、少し直す。そして、また動く。
チャイムは、最初に一度だけ鳴る音ではない気がしてくる。
チャイムが鳴り、みんなが顔を上げる。そのあとに、アナウンスが流れる。
いま、ここまで進んでいます。ここで止まっています。やってみたけれど、思ったほどうまくいきませんでした。別の場所に負担が寄っていました。昨日まで見えていなかった問題が、ここにあります。
学校の構内放送も、だいたいそんな感じだった。チャイムだけでは、何が起きているのかはわからない。けれど、チャイムがなければ、アナウンスもただ流れていってしまう。
まず、みんなが顔を上げる。それから、起きていること、誰かがやった「行動」の結果が伝えられる。そして、また誰かが動く。
政策ダッシュボードも、単に「動きましょう」と人を急かすアラームではないのだと思う。決めたことが、現実のなかでどう動いたのか。その結果、何が変わり、何が変わらなかったのか。誰が助かり、誰に負担が寄ったのか。
行動した結果を、もう一度みんなの前に戻す。
チャイムと一緒に、アナウンスを流す。それを見て、誰かが違和感を口にする。話す。少し直す。また動く。そして、その結果がまた見える場所へ戻ってくる。結果を、かかわるひとすべてが、見られる場所へ置く。
見えるから、動ける。動いたものがまた見えるから、直せる。たぶん、この循環が大事なのだ。
町は今砂漠の中
あの鐘を鳴らすのはあなた人はみな砂漠の中
あの鐘を鳴らすのはあなた町は今眠りの中
あの鐘を鳴らすのはあなた人はみな悩みの中
あの鐘を鳴らすのはあなた— 「あの鐘を鳴らすのはあなた」
ずいぶん強い言葉だと思う。鐘は、もともと一人だけに聞かせる音ではない。
江戸の「時の鐘」は、町の人々へ時刻を知らせる公共の音だった。城の鐘、寺の鐘、町の鐘が昼夜を通して鳴り、人々はその音を頼りに生活していたという。ばらばらに暮らす人たちの時間を、同じ瞬間へそろえる音だった。
チャイムも、たぶん、その子孫みたいなものだ。
誰か一人を急かすためではなく、みんなに同じ時間を知らせる。顔を上げるタイミングをつくる。別々のことをしていた人たちを、一度だけ同じ場所へ戻す。
公共のために鳴る音である。
でも、歌は「誰かが鐘を鳴らしてくれる」とは言わない。
鳴らすのは「あなた」だという。
町が眠っていても、人がそれぞれ孤独のなかにいても、誰か偉い人が起こしてくれるのを待つのではない。どこかの「あなた」が鳴らす。
メルカリにいたころ、hikaruさんはチャイムを鳴らしていた。自分はその音を受けて、何かを動かしていた。動かしたあとに、また数字を見る。
まあ、たぶん本人は、そんなにきれいな役割分担だったとは思っていないだろう。自分も書きながら、だいぶ話を美しくしている気がする。
でも、いまhikaruさんは国のなかで、またチャイムをつくっている。
自分は別の場所で、相変わらず何かを動かそうとしている。ずいぶん離れた場所に来たようで、やっていることは、少しだけ地続きなのかもしれない。
まぁ、などとかっこいいことは言ってみたものの、自分は明日も、十二時になってもパソコンを見ている気がする。
チャイムが鳴ったくらいでは止まれない。そんなに人間は素直ではないし、国ならなおさらだろう。
でも、チャイムを鳴らしてくれる人がいるのだ。あの鐘を鳴らしてくれる人が、ちゃんといるのだから。勝手になってるわけではない。人間が鳴らしてるのだ。
だから、その「あなた」を思って、「わたし」も少しだけ顔を上げたい。
その、誰かのアナウンスに耳を澄ませる。何が起きているのかを見る。
誰かに言われるのを待つだけではなく、たまにはこちらから言ってみる。
「そろそろ行きますか」と。
そして、新しい「執行」をはじめることにする。




自分もPMみたいな仕事をしているので、すごく共感します。
鐘をならして、行動して。
機会があれば「ゴール」についても書いてもらえると嬉しいです。
自分の生活にもチャイムとアナウンスしてくれないものかしら
周りは時間や状況見ているようだけど仕事にも人生にも不慣れなボクはタイミングが少し分からない
政治と政策が少しでも身近になるようにスバラシイチャイムとアナウンスができてくるのを期待してます