先日、日本政府からこんなものを公表した。
デジタル庁のチームと厚生労働省・内閣官房が協働することで実現した。日本の医療DXにおける重要政策の進捗状況がひと目でわかるものになっている。数値は定期的に自動更新される仕組みで、データ・ダッシュボードというやつだ。

医療DXは、「医療DXの推進に関する工程表」(2023年6月2日医療DX推進本部決定)に基づき、取組が進められています。
このダッシュボードでは、医療DXに関する施策であるマイナ保険証、オンライン資格確認、電子カルテ、電子カルテ情報共有サービス、電子処方箋、電子処方箋管理サービス…(中略)..等の医療DX全体の進捗状況を把握するデータを取り扱っています。
医療DXという大きな政策の束の全体感が俯瞰でわかるものになっているだけでなく、ここから個別の政策の詳細な状況を知ることも出来る。例えば、電子処方箋の導入状況について、医療機関の種類(病院 or 診療所など)や、地域別、もっというと具体的な医療機関名称で導入しているかしていないかまでわかる。
政策の状況についての情報公開としては、手前味噌だがこれまでの政府の水準からするとかなり画期的なものだと思う。

政策のダッシュボード
ここから先は、完全に個人の意見。
(所属する機関の公式見解などとは無関係です)。
2022年にデジタル庁に入って、ずっとこういった取り組みがやりたかった。
というか、実際にいろんな政策分野でやってきた。最初は、デジタル庁の政策であるマイナンバーカードの普及状況から始め、他省庁とも協力し、総務省・厚生労働省・文部科学省・内閣府など、諸所の省庁の政策をダッシュボードで公表する施策を一緒にやってきた。大変なことも多かったが、4年ほどやっているうちに、味方も事例も増えてきて、取り組みはちょっとずつ転がり出した。僕自身が霞が関を理解してきたというのもある。
その一つの結果として、今回「医療DX」という纏まった政策の束でのダッシュボードで政策の進捗を示すことが出来るところまで来た。自分の中ではひとつの大きなマイルストーンだ。
日本は戦略過多・実行不足
ダッシュボードというのは、ざっくり云うと「ある物事の状況を細かくデータで見る」ためのツールであるが、デジタル庁にやって来て、なぜいま、政策 × ダッシュボードという領域をやるのか?としばしば訊かれる。
…
日本の政策の一番の問題は「ちゃんとした戦略が無いこと」だと思われていることが多い。それはわからんでもない。政治家の云うことはよく変わるし、日本人は実行が上手で戦略の立案は下手という印象もある。実際に、流れが速かったり、不確実性が高い分野については、戦略立案に空回りしていることもある。
しかし実情としては、寧ろ日本の政策の現場は「戦略過多」で、実行が追随できていないことの方が多いのではないかと僕には見える。
政治学者の飯尾潤は、高度経済成長期に日本は政策不足であったが、今は寧ろ政策過多であると書いていた。
デジタル庁は2021年からデジタル政策の推進をしているが、その骨子は e-Japan戦略(2001)、i-Japan戦略(2009)、デジタル・ガバメント実行計画(2017)など、多くのデジタル政府計画の中に既にあった主要な戦略を受け継いだものだ。デジタル政策については元々に戦略が無いというより、実施に時間を要しているのが実情だと思う。
以前にだって此処は霞が関という記事を書いた通り、霞が関で起きることには、背景には構造的な事情がある。戦略過多についても構造的に生産されていると思われる。実行が大変で時間が掛かるのに対して、戦略立案は短いスパンで作れる成果だ1。これは、異動が多い官僚や、政治家にとっては誘引材料となりやすい。
それに比して、実行側は年を追うごとにコストが高くなっている。
戦後から高度経済成長期に掛けては、業界などの形成も途上で、国には力があり、成長して豊かになるという共通目標があった。しかし今では、業界団体が増え、国は力がなくなり、政治家は分野ごとに固着し、何を実施するにも大量のステークホルダーとの調整に悩まされる。
政府の戦略に実行が上手く追随できないのは、言葉に尽くせない色々な“諸事情”があると思われる。その全てを解決するのは不可能だ。
しかし、その中でも「情報」の重要さに光を当てるのは、デジタル庁と僕たちの重要な役目だと思っている。実行の困難性の中には、適切な情報の存在によって解決できることが、一定はあるはずだ。
チャイムと調整ゲーム
儀式をゲーム理論で考える(マイケル・チェ)という本があって、経済学的には結構面白い。ゲーム理論にコーディネーションゲーム(調整ゲーム)という分野がある。これは「全員の利害一致し、全員が同じことをしたいと実は思っているのに、情報が不完全・非対称であるために調整に失敗する」という事象を分析する。
実際に、世の中にはそういうことがよくある。
経済学的には、この問題の解決方法は幾つかある。その中で、「情報」を使った解決策について言えば、必要なのは、「全員が同じ情報を持っていること」…
ではなくて、「全員が同じ情報を持っていると、全員が信じていること」だと言う。わかりづらいが、この二つには明確な差がある。例をあげて考えてみよう。
hikaruが、miyatti・soramiと12時にランチに行く約束をしていたとする。この時に、12時になってもmiyatti・soramiはPCに向かって黙々と作業をしている(ふたりは実際にそういうタイプの奴らだ)。
hikaruは声を掛けるのを躊躇う――ふたりは12時になったことに気づいていないのか、それとも気づいているけど作業を終わらせたいのか?
遠慮して、様子を見ようと思ったhikaruは自分の作業に戻る。そうしてお互いがお見合いをしてランチの予定が流れる。コーディネーションの失敗である。
…
ここで、12時のチャイムが鳴ったらどうだろう?
3人は同時に、12時であることに気づくだけでなく、「お互いが12時であることを認識した」という一段上位の認識を共有する。お互いに声を掛けるのが自然になる。
簡単なことだが、これが経済学的なコーディネーション・ゲームの解決策であり、上で紹介したマイケル・チェは、伝統的な「儀式」の役割は集団のコーディネーションを成功させるために、全員が同様の情報を同期的に獲得することだと分析する。
この国にチャイムを
この話の含意は、多人数での調整を成功させるのには「全員が同じ情報を私的にではなく、“公然の場所”で認識する」のが重要であるということである。
政策ダッシュボードは、政策の状況を関係者全員が同様に理解できるよう、公的な場所で情報を理解しやすく公表することを旨としている。
国の政策という、複雑で関係者が多いコーディネーションゲームを成功させるために、誰もが見られる場所に正しい情報を置く。その仕組みが、今の政府からではあまり機能していない側面があります2。
つまりその中にあって、
政策ダッシュボードとは「チャイムのようにあるべき」ものなのだ
というのが僕の考え。
そもそも、政府とはチャイムを鳴らすのが仕事みたいなものだと、僕は思っているのですが、どうにも長いことやっているといろいろな事情があり、チャイムは動かなくなったり、音色が錆びついて人々に届かなくなってしまっているようで。
だから、この国が少しでも前に進むよう、
遠くまで美しく響く「新しいチャイム」を創る挑戦を、僕たちはしてみたい。
戦略を作るよりも、チャイムを創る――そこに賭けてみる。

こう言い切ってしまうと語弊はあるが。
もちろん、その裏には様々な諸事情があり、知れば仕方がないことだと思えるものだ。


