この前、木村くんと話していて「倫理」って結局なんなんだろうという話になった。その後にちょっと調べている途中で、まず最初の段階として「倫理の三立場」なるものを理解して、ほうーってなった。
というのは、僕が仕事で悩んできたことと瓜二つだったから。
それをメモっておく。
※ちなみに倫理の三立場とは「功利主義」「義務論」「徳倫理」のこと。
功利主義
ジェレミー・ベンサム/ ジョン・スチュワート・ミル。
要はKPI運用的な立場。
OKRでいうところの、KR(Key Result)重視。
結果としての集計値が高ければ(もしくは低ければ)それで良い、という世界観で、掲げるのは「最大多数の最大幸福」。
社会全体の結果的な幸福(功利もしくは厚生)の量に着目しており、手段や過程はあまり問題にしない。結果さえよければそれでいいのか、本当に必要な集計量(幸福など)は正しく測れないじゃないか、などと言った点を批判されがち。うん、そういうところまで実にKPI運用とそっくりである。
でも、実はそれらの批判に対する準備も用意されているように見える。ベンサムの功利主義計算は、僕らが考えるような単純な「効用の足し合わせ」でなく、7つの多様な次元に言及されていた。強度・持続性・確実性・遠近・多産性(波及効果)・純粋性(副作用のなさ)・範囲。いわゆる質的数値やDuration、ガードレールメトリクスなども範囲に含めようということだろう。いや、実にKPI的だ。
義務論
イマヌエル・カント。
施策ドリブンな運営の立場。
行動の意図に重心を置く。ユーザーを騙すUIは作らない、という具体的な信念を元に行動し実行することが重要で、逆に言えばその結果の成否は問わない。その意味では功利主義と対置関係の発想で、「正しいことはされたものの物事が良くならない」という帰結になることを許容しているとされるのが主な批判ポイント。
自分自身との約束事 (きまり、格率)に従って行動することを重んじる。決めたことには状況関係なく従うのが正しい。
徳倫理
アリストテレス。
どういう姿であるか、を重んじる立場。
OKRでいうところのObjective部分、あるいはパーパスなどに少し近いかも。
良い点は、抽象度が高く純度が高いので(「世界水準のプロダクトにする」とか)、標語として掲げやすい。またどう解釈して具体に落とすかに幅が持てるため、実行側の裁量に繋がる。
それはそのまま逆に弱点にもなって、抽象度が高いせいで何をすれば良いのか、という具体的な規範には繋がりづらい。
以前書いたDoing or Being? の「Being」に近い部分があるかも。
ビジネスと三立場
徳倫理は、経営者的な立場だ。
会社や事業のあるべき姿を抽象的に定義する。「世界水準のプロダクト」などと云った具合だ。しかし、これはスローガンとしては機能するかもしれないが、じゃあ明日から何をすれば良いのか?には直接的には答えない。
これだけだと人は動けない。
そこで、事業責任者は功利主義(≒帰結主義)の立場を取る。最大化するべきKPIを定め、それを高めることを目標に置く。「継続率を50%にする」など。
ところが、功利主義だけだと「どういった手段を用いてKPIを最大化するか」が自由度が高いので、邪悪な方法で数値を高める可能性がある。僕はそれを以前にガールズバー施策と呼んだ。そこで、徳倫理と組み合わせればうまくいくかもしれないという考えができる。より上位の目標として高潔なものが掲げられていれば、邪悪な施策の乱用を防げるかもしれない。これはOKR(Objective Key Result)的発想だ。
ただ、手段に正義を求めすぎるとそれはそれでキツイ。
施策の現場が正義感や自己信念に寄りすぎていると、目標の達成でなく手段の正統性に偏った議論がなされる場面をよく見てきた(割と優秀なエンジニアやデザイナーには多い)。これは義務論の融通の効かなさと相通ずるものがある。
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こうしてみると同じ倫理として「三人衆」のように括られているが、それぞれは全く別の部分を扱っている(こちらの記事もわかりやすい)。
だから、「倫理の三立場」などと言われているようだが、そもそもの性質が全く異なることがよく分かる。どれが最も良いか、というよりは3つは相補関係にあるし、寧ろその間の橋渡しと、ウェイトが大事ということなんじゃないか。
徳倫理は抽象的が故に包括的、その弱点を義務論の具体性が補う。しかし、義務論の過度な行為重視(結果軽視)を功利主義が引き締める。功利主義が手段面で闇落ちしかねないのを、徳倫理が監督する。まるで三権分立のような仕組み。
自分に関していえば、データ分析屋というのは職業的には圧倒的に功利主義の立場である。数字を測り、指標が上がればそれでよし。でも、「決めたから毎日書く」というのは、かなり純粋義務論的である。そして、デジタル庁ではCxOの立場になり、どちらかといえば徳倫理っぽい立場を取ることが多くなった。
人間の倫理は、単にその人の持ち場で決まるのかもしれない。
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