醸せカルチャー
substackについて書くことなんて無い
日本でsubstackが俄に流行っているらしい。
米国では既にだいぶ、言論空間としての市民権を得ているとsoramiからも聴いていたが(彼は英語がちゃんと読める、羨ましい)、日本にもその波が来たのだろうか。
しかし、substackを開くと、そうとは言い難い状況が垣間見える。「先行者利益」だの、「攻略・伸ばす・収益化」といった言葉が並び、相互フォローのキャンペーンなるものが実施されている。
substack番付という、substackで注目されている記事をランキングしているサイトが有るのをしった。見てみると、ランキング上位は、「サブスタックが◯◯」というタイトルばかりになっている。
新規参入者が、サブスタックの攻略法を書いていたり、逆に黎明期からのユーザが、サブスタックはそういう場所じゃない、と主張する記事もよく見かける。

うーん、それはどうなんだろう。soramiと、substackは日本の言論空間を回復できるだろうか、と言うことをよく話していた。substackは、こんな場所であるべきなのか。
そう思って、記事作成のボタンを押し、記事を書き始める。タイトルは「Substackで収益とか、お前ら落ち着け」的なもの。1000文字ほど書いて、そこでふと手が止まった。僕が、そんな記事を書くべきなのだろうか。
そこで、ある人の言葉を思い出した。
敬愛する起業家のshotaさんだ。メルカリの競合である、フリルを起業し、楽天にBuy-Outした。いまはsmartbankという金融の挑戦をしている。
彼に会って、訊いたことがある。「shotaさんの作る会社ってカルチャー(文化)が良いなって思うんですけど、どうやってカルチャーを作ってるんですか?」
彼の返しは、
カルチャーは作らない。カルチャーは醸すものだから。意図的に作るのではなく、濃いカルチャーの空気を醸せるメンバーを採用し、好きにさせ、カルチャーに合った行動を取った人は称賛する。
一人ひとりがカルチャーの空気を醸し出せば、いつの間にか会社に充満していく。
というものだった。
――そうか。
ひとりのユーザとして、substackが面白い場所になってくれれば良いな、という気持ちは強い。しかし、であるとしたら、するべきことは、他の人を揶揄する記事を書くことではない。Substackはこういう場所だ、と持論を展開することでもない。
きっと大事なのは、じぶんが一番楽しむこと、じゃないか。
こう使えばきっと面白い、を自分なりにやってみる。文章を書き、人と関係し合うことで、満足感を得る。その雰囲気を、文化を醸し出して、この場所に充満させる。理想や文句を言葉で語るのではなく、行動で体現することが何より重要だ。shotaさんは、スタートアップを経営し、その事実に誰より深く気づいたんじゃないだろうか。
僕はいま、ここで書いている。楽しい。だからこそ、Substack文化の主張や、Substackを勘違いしている人たちについて、書く必要なんて、全くない。
僕は、僕自身と読者が楽しめることを書く。僕はいま、書いていて、とても楽しい。みんなも好きなことを書けば、楽しいと思う。この気持ちが、空気となって多くの人に伝わりますように。
(※番外コメント)
いつの間にか購読者が950人を超えていました。引き続き、日次更新で楽しんで書いていきます。ご愛顧くださいませ。


書きたい事があり、きっかけがあってsubstackも始めると決めたものの、そういう感じで初めてはいけないのかしらと気圧されていました。
拝読し、ほっと息をつけた心地がしました。
自分からも自分なりに醸せるものがあればいいなと思いました。
素敵な記事ありがとうございます。
最近のXの発信課題(AIで生成されたノイズだったり、中傷コメント、フォロワーへのエンゲージメントなど)から、サブスタックに移るというXユーザーのポストを見ました。
前からsubstackを使っているユーザーにとっては複雑な気分になるのも理解できますし、なによりプラットフォームや組織にしても、「楽しむ気持ちでいられること」が副産物としてのカルチャーを生み出す上でも大事だなと、この投稿みて再確認できました。