前編はこちら。
<おさらい>
文章の供給は増えているが、文章に対する「需要」は増えていない。人類が読みに使える時間は、1人1日24時間でずっと変わらない
いまの世の中では「誰かに真剣に読んでもらう」ことのほうが大変。読んでもらうことが希少資源になっている。
Xでは広告費を払って投稿を見てもらう時代。読み手という資源希少性に値段が付いている。これは「読むというアテンション」の市場が出来ているということなのか?それは、否である。
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では、続きをどうぞ。
情報の配給制と社会主義
これは書くという供給と、読むという需要の間に「市場」が形成されているという話ではない。ここは非常に重要だ。
書き手がカネで投稿をブーストするのは、(幾ばくか偏見を込めて書くが)それが市場的に「価値が低い」から、読んでもらうために札束を使うということ。アテンションという希少資源を持っている読み手側は、価値の低い投稿にアテンションを払うに足る対価を受け取るべきと思われる。希少資源をどう分配するかは、市場であれば需給相互の価格設定で決める。下らない情報を見る場合、見る側がそれなりの対価を受け取る、という形で需給の交点を取る。それこそが市場原理。
しかし、誰かがカネでブーストしたゴミみたいな投稿を読まされても、読んだ方にはビタ1円入らない。これは経済学の言葉で言えば、「市場ではない」。ブーストの広告費はX社が受け取る。そして、読み手が何を見るかは結局X社がコントロールしている。
つまり、読み手のアテンションという希少資源の分配は市場経済メカニズムではなく、運営の一存による「配給経済」によってきまっている。
これは実に、社会主義的な構造だ。
Xでは、広告費のようにカネを払える者には多くの配分(=アテンション)を受け取る権利がある。しかし、見る側には何の利益もない。社会主義国家では、多くの配給を受けるために確実な方法が、当局への賄賂であることによく似ている。
社会主義国家では国家に気に入られるため、必死に当局の方針に忠誠を誓い、媚びる必要がある。アルゴリズムが好む形式で書く、PVが取れる扇情的な書き出し、仕様変更のたびに、書き方を寄せていくこと。そして、上述のような賄賂。
うーむ、文字にしていて、嫌な気分になってくる。でも、別に誰かや何かに悪辣に書いてるわけでも誇張しているわけでもなく、単に事実だと思って書いている。
…困ったな。
なぜXから離れたいのか
経済学には「レント・シーキング」という言葉があって、良いものを作って報酬を得るのではなく、配分の権力に取り入って割当を増やすことに資源を注ぐ行動を指す。計画経済を導入した国家が停滞した主な理由はこれで、社会主義国の生産者は製品の改良ではなく、当局との交渉に力を使った。
ゲームのルール的にどう考えてもその方が合理的だ。僕も計画経済の社会で真剣にプレイしろと言われたら、まあそのような戦略を考えるだろうよ、正直。
しかして、SNSでもそういう人がどんどん増えている気がする。アルゴリズムに気に入られるのに必死だな、という人たち。安い言葉に、賄賂(広告)で無理に多くのアテンションを集めたい人たち。ある程度地位を築けて楽しそうなオリガルヒたち。
別にそういう人を責めたい気持ちもない。計画経済の下にいた殆どの人たちが邪悪だったわけではないのと同じで、問題は制度と構造の方にある。SNSのあの報酬設計の下ではアルゴリズムへの適応こそが合理的だし、社会主義国では政府に取り入ったほうが得策だ。賢い人は、うまく適応する。
まあでも、自分はそうはなりたくなかったし、そういう人たちを見続けたくもなかったってことだと思う。単純に、社会主義的な圧政の空気を吸い続けたくなかった。
結果、Xや他のSNSは最低限にして、書きたいことはSubstackで書くようになった。っていう、まあ単純な話です。
多様性の回路
それに加えて。そんなやり方のエコシステムが長期的に繁栄できるわけがない、と思っているというのもある。レント・シーキングが横行するシステムの下では、経済主体は正常な「試行錯誤と改良」のサイクルを行わなくなる。社会主義国では、技術進展と知識の蓄積の運動神経が弱化するのは、ソ連をはじめ歴史が証明している。
長期の勝負は、供給の強さで決まる。
何を社会に提供したいか、どんな価値を実現したいか、何を面白いと思うか、これらは計画ではなく個々の主体性によってより自生的に育まれるはずだ。中央が価値を決めて分配する計画経済はこの自生的な回路を殺してしまう。
市場経済と違って、計画経済は多様な需要ニーズを封殺する。Xが似たような情報ばかりで同じような構文ばかりで、面白くなくなったという人が増えているのは、偶然でもない。それは、社会主義国に衣服のバラエティがないのと同じ理屈だ。
社会主義国からの逃亡劇
まとめると。
これからの時代、アテンションを配給してほしければ、運営者に媚びるか、賄賂を払うか、そういう世界になっていく。つーか、なってる。それは気に食わねー!っていうのが率直な僕の感想でした。これはもう、理屈とかじゃなく、肌に合うかどうかっていう感覚の問題で、社会主義とか云うのも物騒かもしれないけど、自分にはどうにもそう感じられたっていう。
割とこう見えて現実派で何事にも諦めが良い方ではあるんだけど、どうにもこれについては自分は相当に気に入らなかったようだ。なーんか人間にとっての大事なものを奪われる場所だという直観。当局の方針に媚びながら書く、そんな構造、そんな生き方は好みじゃない。書くことが好きだからね。
それでも何かを書いていたくて、アテンションを配給されるのではなく、自分の努力で、読んでくれる人を受け取ったり失ったりするニュースレターを真っ向からやってみて、お陰様で以前より遥かに高頻度で大量に文章を書いている。
大げさだけど、これは僕にとっては社会主義国からの逃亡劇だ。
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「短期は需要・長期は供給」。
ケインズは、穴を掘って埋めるだけの公共事業でも、需要が喚起されるから不況対策としては経済に意味があると言った。これは短期経済の視点ですが、書くことのモチベーションにも不況はあるので、短期の需要対策は重要です。いいね・コメント・購読者増、いずれも本当にありがたい。それらは明日の大きなモチベーションになる。(それでいえば、相互フォローも立派な短期の景気刺激策なのかもしれない、ぼくは違和感あるのでやらないけど)。
でも、長く続けるためにはやはり「供給」――自分が何を書きたいか、をちゃんと考え続け、広げ、深めていくってことかなと思います。それにはmiyattiのような他者と関係し合うことも含まれると思う。んで、多分なんですがアテンションを「配給」される環境にいると、自分が何を書きたいかが歪んでしまうんじゃないかと思ってるんですよね。
自分が何を書きたいか、その「水の箱」は誰かから配給されるものじゃない。当局に媚びれば、アテンションの配給は増やしてくれるかも知れんが、箱はそうもいかん。
さーて、明日は何を書こうかねえ。



すごく難しい話が始まったのかと思いましたが、なるほどの連続、とても面白かったです。
とても良かった