「瑞々しいレモンの果肉を口に入れて、ぎゅっと噛みしめました」と言われると、もうその時点で、ちょっと口の奥がすっぱくなる。別に目の前にレモンがあるわけではない。果汁が飛んできたわけでもない。ただ文字を読んだだけなのに、身体が勝手に反応してしまう。
いきいきとしたストーリーを聞いて、その様子を想像しないようにする、というのはかなり難しい。
スマホを見るのをやめよう。甘いものを食べるのをやめよう。昔の失敗を思い出すのをやめよう。そう言われて、自分でそうしようと思えば思うほど、逆にそれが頭に浮かんでくる。考えないようにしよう、と考えている時点で、もう考えている。なんだこの無理ゲーは、という感じがある。
文章、単語、または数字などでも、ストーリーを想起させるような言葉というのは、簡単に雑に身体へ入ってくる。レモン、と聞いたら酸っぱい。MBTIでINFPと言われたら、ああ、なんかそういうやつね、となる。そして、フリーザ、と聞いたら戦闘力53万。
もし現実世界にフリーザがいたとしたら、「あの53万の戦闘力の…」という冠で語られることは想像に固くない。他に、どんな情報でフリーザは語られ得るだろうか?「惑星ベジータを一人で滅ぼしたらしい」とか、「二度目の失敗で部下を『掃除』するらしい」などと噂されるかも知れない。
誰かについて語る時、1に数字、2にエピソードである
フリーザ、と聞く。戦闘力53万、と思う。でもその瞬間、あの絶望感も、丁寧な言葉遣いも、ナメック星の空気も、なんとなく一緒に立ち上がってくる。
もちろん表現としては雑。フリーザは戦闘力53万だけの存在ではないし、INFPの人間がみんな同じなわけでもない。
それでも、この雑な「圧縮」はけっこう強い。
物語というのは、ただ情報を伝えるものではない。聞いた人の中に、感情や感覚を発生させてしまう。アニメや漫画で泣くのもそうだし、神話や宗教が人の心を動かしてきたのもそうだと思う。
起きていないことを、まるで起きたことのように身体に経験させる。そう考えると、物語というのはかなり怖い。
楽しい物語ならいい。感動したり、うれしくなったり、ああ生きていてよかったな、みたいな気持ちになるなら、どんどん浴びればいいと思う。問題は、嫌な物語である。
誰かに今この瞬間「お前はだめだ」と言われたわけではないのに、自分の頭の中でそのナレーションが流れて、本当にしんどくなってしまうことがある。現実には何も起きていない。部屋は静かで、机の上にコーヒーがあって、ただ朝があるだけだったりする。でも、頭の中のストーリーは身体にちゃんと嫌な感じを起こす。
突然の自分語りで恐縮だが、僕は自分のことを「やたら、特にプロダクトのこととかAIのこととか、思想のことのかについて大言壮語で、周りに自分の正解、正義を押しつけて、空気を読まないめんどくさいやつ」だと思っている。いやゆる「変わり者」キャラ。マンガとかにもでてきそうな。
急に大きい話をしはじめるし、なんか正しそうなことを言いたくなるし、場の温度より、自分の中の筋のよさを優先してしまうところがある。
それが良くない方に働くと、ミーティングでも迷惑かけたりする。たまにかなり厄介である。
で、それをやめたいな、コントロールしたいとか、もう少し、空気を読める人間になりたいなどと、殊勝なことを考えたりもする。
が、思えば思うほど、なぜか逆に「自分はそういうめんどくさいやつなのだ」という物語が濃くなる感じがある。
レモンのことを考えるな、と言われたらレモンが浮かぶように、正義マンになるな、と思うほど、自分の中の正義マンの輪郭が濃くなる。物語は否定で考えても、想起しただけで、まとわりつく。人間の脳みそはそうなってるらしい。
ここで、多分セラピストとか、倫理的な人は「いや、あなたはそんな型にはまった人間ではない。もっと複雑な自分がいるのだ。もっと自分の内面をみつめて、ありのままの自分をありのままに受け入れて」と言ったりする。
もちろん色々考える、が、考えはじめると、急にしんどくなる。無限の自分探しが始まる。
いや、それはそれで大事なのかもしれないけど、正直だるい。そんなに毎回、豊かで複雑な自分を掘り当てていられない。そんなのは、さんざん経験してわかってる。
過去自分がプロダクト開発やってきたなかでの経験で言うと、無意味で膨大なビッグデータを仮説抜きで集めていくみたい感じの無意味さに似てる。
もしくは、場当たり的で意味もなく、たくさんのユーザーリサーチを重ねて、乱雑にエピソードのリストを集める、みたいな。過去に思い当たる節がありすぎる。
じゃあどうするのか。レモンのことをきいて酸っぱくなりたくないなら、青汁のんだ自分を想像する。
あら不思議、酸っぱさは消える。そのかわりに、口がなんだか苦くなる。
型にはまった物語を抜け出すには、型にはまっていない本当の豊かな自分を探してありのまま認める、とかより、別の、また「わかりやすい」型にはまったやすい物語にのっかったほうが、早い。
たとえば、自分の中には「やたら周囲の目を気にして、空気を読もうとしている自分」というキャラクターもいる。
人の顔色を見る。場の反応を気にする。自分の発言が浮いていなかったか、あとから思い返す。相手が少し黙っただけで、あれ、今のまずかったかな、と思う。とか。
そのサブ的な、ステレオタイプな物語を、自分の中心に持ってくる。そういう人間であると思い込む。すると、ミーティングでは慎重に空気を読む自分が比較的前に出てきて、不思議と俺俺キャラが弱まったりする。
まあ、要するに演じるってことでしょという話ではあるのだけど、自分の中にもともとあるものを増幅させるのがコツ。
これ多分、倫理的な話でもなければ、美しい話でもなくて。「自分は本当は繊細で優しい人間です」みたいな話ではない。そういう美談にしたいわけではない。
ただ実感として、脳にリアルな物語を思い描くと、単に情報を細かくリアリティなく処理として置くだけとのきより、確実に自分の気分に影響する。その力強さはガチ。多分、人間の脳の処理能力のバグなんだとおもう。めちゃくちゃテクニカルな話。
物語というものの強力無比さ。人の精神の支配能力。その面白さ。人間はそれに抗えないのだ。だから、のっかる。利用する。
いま必要な物語を、いまだけ使う。効かなくなったら、また別の物語を置く。たぶん、人間は、自分の性格だけでなく、ありとあらゆる、たとえば、世界への認識、他者の捉え方、フリーザに対する印象、そんなものでも、ひとつの、いわゆる大きな物語で説明できるほど、ちゃんとしていない。もっと雑で、その場その場で、勝手に反応して、勝手に暴走する。
だから、こっちも雑にやる。
レモンのことを考えるな、と言われても、たぶん無理である。だったら、レモンじゃなくて、とびっきり苦い青汁を一気飲みした自分を想像する。それでレモンが消えるわけではない。でも、口の中の感じは少し変わる。
不安で固まる人は、「大丈夫か」を考え続けるかわりに、「それでも少し面白がっている自分」を前に出す。不安を消すのではなく、好奇心キャラの物語を起動する。
恥ずかしさで止まる人は、「変に見られたくない」を考え続けるかわりに、「いや、さすがにこれは嫌だ」と思っている自分を前に出す。恥を消すのではなく、怒りの物語を起動する。
虚しさで動けない人は、「どうせ意味がない」を考え続けるかわりに、「それでも誰かに見せたい」と思っている自分を前に出す。虚しさを消すのではなく、少し承認を求める子供じみた自分に身を委ねる。
どれが本当の自分か、という話ではない。どれも雑で、どれも厄介で、どれもそれなりに自分である。ただ、ひとつの物語だけが脳内を支配しているとき、別の物語を走らせると、少しだけ支配率が変わる。
人は事実だけで困っているのではない。物語の中で困っている。そして、事実だけではなかなか動けない。別の物語が見えたときに、少し動けるようになる。
そして、大事なのは、唯一の物語に閉じ込められないこと、だと思う。
毎日、気分に合わせて、洋服を着替えるように、自分の物語を着替えてみてはいかがでしょう?



そういうのもいいですね!actっていう認知行動療法の一種で、自分の中で生まれる自分にたいする、ネガティブメッセージがあったときに、それをジャイアンとかマンガのキャラに喋らせるイメージを持つと、なんか妙に笑えて客観視できる、みたいな話もあった気がします。広い意味でも別の物語化というか。
〇〇しちゃだめだ、と考えると余計囚われると言いますよね。
愛犬ととあるテストを受けた時、緊張をなんとかしたかったのですが、回を重ねても変わらない。
普段通りに動けないし(普段しないおかしなことするし😂)、何より飼い主がいつもとちがうことを愛犬は敏感に感じ取る。どうする?
ど緊張状態にいる自分を笑うことにしました。
それからいい方向に向かった気がします。
…なんてことを思い出しました。
人の考えを読ませてもらうのは本当に楽しいです。ありがとうございます🙏