ワニの話の別のはなし
非公式な制度と相場崩し
デジタル庁の同僚の官僚の某氏から、ワニの話についてコメントを貰った。
ワニの話のはなしでも書いた通り、記事に対して感想や、別角度の考察をいただけるのは非常に嬉しいし、面白い。
氏からもらったコメントとそこからの会話は、以下のようなもの。
日本ではカッチリとした仕組みや制度だけではなく、「相場」が土台として機能しているという意味で、一種のプラットフォーム的な存在である
相場とは例えば、ご祝儀で幾らを包むべきか、という暗黙の合意等。そこを表立って示し合わせなくても、全員が自然に認識している社会コンセンサスであり、これによって物事が円滑に作動する
永田町・霞が関には「相場崩し」という概念がある。全員が3万円の祝儀を持参する中、ひとりだけ10万円を包んで目立とうとする、など。早い話が「空気」のことである(空気を読む、という用法での“空気”)
この「相場崩し」は、いわば暗黙の合意であったはずの相場を無視する、スタンドプレーであり、周囲から恨まれる。
相場は、社会を安定させる。しかし、それは硬直の裏返しにもなるので、時折、いい意味で相場を裏切るようなことをしていく必要がある(僕たちは行政の相場にないことをやっているが、いい意味での相場崩しが出来ている)
※ こういった良い意味での相場崩しについては、ポジティブ・デビアンス(肯定的逸脱)という、社会学的な用語も存在するらしい。
Bill Gates Lineでいうところのプラットフォーム論に当てはまるかは別として、この話は面白い。日本の組織や集団は、公式な制度だけでなく、“非公式”の制度(慣習、空気、互助の精神)によって安定させられているというのは、社会学等々が指摘している。
経済学にも、制度経済学というジャンルがあり、関心がある。現在の主の学派である新制度派経済学では、公式な制度と非公式な制度 (Informal Institutions)を明示的に分けて、分析を行う。
このあたりは、個人として非常に興味を持っている領域である。
これまでの仕事柄、政府にいたり、企業でKPIを扱ったりしていると、「公式の制度」の威力と、一方での限界を感じることが多い。強力なルールは、適用される側からの反発を呼び、押し付けると面従腹背・ルールのハックを招きやすい。
それを避けるために、設計に時間を掛けたり、ロールアウトに際して丁寧な説明を要したりと、コストが高い。指標についてこちらのnoteでも書いた通り、制度とは、相互の匿名性、つまり「不信」を基底に置いたシステムであり、性悪説に依っている。
この種の制度は、その性質上、ポジティブ・デビアンス(良い意味での「相場崩し」)も許容しない。例外を作れば、一気呵成に実行力を失うからだ。
公式な制度だけでは、明らかに限界がある。
なお、前出の氏は、公式の制度らしきものを作れば、万人が従いそれで万事上手くいくという類の幻想が、霞が関内で跋扈しすぎすぎていることを、憂いていた。
メルカリは、「非公式な制度」の強さを証明した組織だ。
組織の設計思想として、「性善説」を掲げるメルカリ。
取締役の小泉文明は、働き方の自由を縛るルールをなるべく作らずに、組織を運営することを強く意識する。(中略)…
ルールで縛らない代わりに、バリューで社員の働き方を方向づける。
https://forbesjapan.com/articles/detail/15662(2017, Forbes)
この小泉さんの写真は懐かしい。
メルカリは、性善説に基づいてルールを最低限に抑え、MVV(ミッション・ヴィジョン・バリュー)やカルチャーなど、制度ではなく、ある種の”空気感”によって組織を統率する。
空気は緩い「相場感」を持ってはいるが(例:メンバーはどの程度挑戦的―Go Boldであるべきか、など)、絶対の基準はなく、明確な掟でもない。こういう場所では、ポジティブ・デビアンスが頻発する。業務の非効率や不整合は、メンバーの自律によって、自然に改善されていく。
メルカリでは、何故そのような事が可能だったのか。
これは、考えればすぐに分かる。
公式の制度とは、相互の匿名性・不信を基底に置いたシステムであると書いた。
メルカリはこの逆を貫いた。構成員の匿名性・不信を徹底的に排除するために、(1)採用のプロセス、(2)共通価値観の浸透、に圧倒的なコストを掛けたのである。
この厳選採用をはじめ、下記の4つの要素が絡み合っていたと分析する。
(1) 優秀な人材のみを選抜した厳選採用(倫理観や文化への適合性含む)
(2) 組織文化の浸透(およびそれを可能にする少人数組織)
↕
(3) 事業のステークホルダーの単純さ(Peer-to-Peerモデルであること)
(4) 事業の力強い成長性
(4)の要素は、(1)採用の贅沢と、(2)文化へコスト払える余剰確保の上で、重要である。
(3)は、事業の複雑性が増せば、どうしても、個別最適よりも、全体でのトップダウンによる最適化が必要になる。
4つの要素が奇跡的に揃ったことで、メルカリは「非公式な制度」の強さを体現する組織となった。
一方、この事実は、同じことを国家といった単位で実現することは不可能だということを示している。
1)は国家では不可能である。人口は再生産(出産)で構成される以上、国家は構成員を選べない。また、不具や加齢等で労働生産性が低くなったからといって構成員から外すことは、現代の倫理基準で実現し得ない
2)は、人口の多さと多様性から、不可能である。歴史的には戦争や宗教が解決策の一つとして存在するが、現代で積極的に取り得る手段ではない
3)については、疑問は残るが基本的にはFalseだ。コモンズの総体としての国家、であれば、コモンズ単位ではシンプルかも知れないが…実際はそうではない
4)については、一時期は該当しただろう。しかし、経済成長は失われた
当のメルカリでも、時代が下るにつれて、1)から4)の全ての条件が、かなりの割合で失われた。組織としては、かなり難しい状況にあるように見える。理想郷は、いつまでも同じ顔をしていない。
僕らは、難しい世界を生きている。

