静かな退職という言葉を最近知った。会社からの期待に過剰に応えず、必要最低限をこなす形で会社には残り続けるが、仕事に多くを求めない・求められないようにするというスタンスらしい。
その逆が「ハッスルカルチャー」で、仕事こそ人生という考え方で、会社でも昇進や機会を求めて頑張る姿勢だが、合わない人が社会に一定数いるのはまあそうだろう。
しかしその数字は思ったより多い。
マイナビが2024年から定点で行っている調査によれば、静かな退職をしているという自認がある人は、回答者の46.7%(そう思う15.9%, ややそう思う30.8%)もいた。また、そのうち70%程度は今後も静かな退職を続けたいと答えていて、静かな退職は働き方におけるスタンスの一つの大きな趨勢になっているようだ。
静かな退職は、もともと「Quiet Quitting」という言葉で米国から出現した概念で、それが日本にも輸入された形だ。日本には昔から窓際族とか、妖精さんとか近い概念が元々存在していて、ラベルが張り替えられた形とも言える。ただ、窓族や妖精はどちらかといえば周囲が与えるラベルだが、「静かな退職」は本人の意思というニュアンスが強く、生き方の積極的な選択肢という印象を与える。
先のマイナビの調査での企業側の意見も興味深くて、企業側(人事担当)の42.2%が社員の静かな退職に賛成をしており、これは反対意見(30.1%)よりも多い。賛成の理由は統計的ではないが、ルーチンワークをこなす人員も一定数必要、とかそういう背景がありそうなことは読める。
静かな退職について僕が思ったことは二つ。
ひとつは出口の難しさ。転職・結婚・起業、なんでも始める時についてのノウハウは溢れているし、手伝ってくれる人も多い。それに比べて、物事を辞める・降りるなど出口についての方法論についての情報や制度は貧弱だ。ゼクシィは死ぬほど広告を打っているのに離婚版の情報紙はないし、退職エージェントもない(そう言えば最近は退職代行が流行っていたけど、非弁行為で潰れる話を聴きますね)。
人生は長いし、いまの時代、始めたときと前提がすぐに変わってしまうことも多い。物事の「出口」の設計を手伝ってあげる制度が社会には必要ではないだろうか。
もうひとつは、全員が週5勤務という形態の妥当性。
ここ10年でシェアリングエコノミーは社会に普及したが、シェアエコの本質は固体の液体化だ。1という固体でしか扱えなかったものを、0.1単位にバラして扱えるようにする。それによってクルマやモノや部屋を効率的に柔軟に扱えるようにする。ギグワーカーやスキマバイトなど、非正規領域ではヒトの液体化は進んできた。正社員でも、全員ではなく「静かな退職」層について、柔軟な働き方を制度的に推奨できないだろうかと思う。
静かな退職の政策
特に僕が興味を持っているのは、人生後半戦の組み立てについてだ。
野村総研の調査に依ると、40-50歳の53%は中年の危機を自覚しているという。静かな退職者が増える現状、AIによる今後の労働市場の変化。
マツダでは、希望退職パッケージへの応募が大人気でクリック合戦になったという話があったが、マイナビの別の調査でミドルシニア層(転職経験あり)の48.2%が希望退職制度について好意的に評価しているなど、機会があれば「出口」を見つけたい人も多いように思える。
40歳以上などを対象に、週3-4日の勤務形態を推奨する制度を政策的に押し出すのはありえるのではないかと思う1。
当の僕自身、いまデジタル庁では週3-4日(時期によって変えている)で働いているが、この柔軟性には利点が多い。ムスメや執筆、副業など、本業以外に時間を作れるというのもそうだが、組織に完全に依存していない分、先の人生のこともフルタイムの人間よりは考える機会が多いと思う。その一環として大学院に通ったり出来ているのも、週5勤務では難しかっただろう。
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40-50代の雇用者がざっくり3,000万人。
うち、47%の「静かな退職」層の30%が週3勤務に移ると仮定すると420万人。
これは中々の大きなマーケットだ。人生後半戦の戦略に関する言説や支援などが流行るかもしれない。大人の趣味の市場がもっと広がるかもしれない。静かな退職者は、旅行や新幹線などが安くなっても良いかもしれない。
労働力は、介護や物流・公共など、人手が足りない分野に誘引できるかもしれない。
(2/5にしても、労働力換算としては約170万人分だ。)
資本主義の論理から半分降りた上で、時間とアタマと体力が十分にある人間は、社会の資源としては価値が高いと思う。消費にせよ労働供給にせよ、そういう領域は市場だけに任せていくと、ドンドンと狭くなっていくから。
40歳で節目を引くことで、30代の後半から労働者はその後の人生をより明確に考えざるを得なくなるだろう。一律の選択肢と期限の存在が人に思考を迫る。
これについては多様な意見があるだろうが、僕は良いことだと思う。何もきっかけ無く、人生の大きな事柄について思索を出来るほど、人は強くない。20歳を越え、否応無く大学の卒業が近づき、それぞれが将来を真剣に考えるようになる。
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本来、「参入と退出の自由のセット」が資本主義を上手く機能させている。
静かな退職46.7%という数値、その他の統計を見るにつけ、労働についての緩やかな「出口」について2社会は戦略的に設計をする必要があると思う。少なくとも僕に関しては、35歳までの普通の起業勤めから、暫くの友人との自営業を経て、週3勤務の国家公務員という奇異な変遷を経て、通常の資本主義の論理にある労働からいきなりではなく緩やかに出口に向かうことが出来ている。その過程で見てきたものは、人生の後半戦に役に立つものだったと信じている。
日本は高齢化社会を筆頭に、課題先進国だとはよく云われる。このような「出口」や「退出」の戦略については、これからの国際社会全般でもニーズが有るのではないかと思う。海外に先駆けてこれを政策として成功させられれば、世界から熱い眼差しを獲得できると思うのだが、どうだろう。
20-30代はちゃんと働いたほうがよいという僕の勝手な偏見が入っている。そのあたりは別途真面目に考える。
緩やかな、という点の重要さは強調しておきたい。以前に東京大学の柳川先生が提唱した「40歳定年論」は聴こえ方が刺激的だったためにネガティブな反響が大きかったと聞く。


