最近、「StudyStream」というサービスを試している。
オンラインで、見知らぬ人達と画面越しにもくもく作業することで集中できる、とおいうコンセプト。経済学の学習に集中したい時のために取り入れている。自分は結構気が散りがちなタイプで、無駄にスマホをチラ見したり、勉強みたいに面倒なやつはすぐに逃げようとする。こういうピアプレッシャー監視は、僕には効果がある。
StudyStreamに入れば、見知らぬ人たちがもくもくと作業している様子が見れる。周りの人々のその雰囲気を感じながら、集中する。取り掛かるのは、動学的最適化のRamseyモデルの課題。難解で普段ならすぐに逃げてしまうが、今日は集中できている…いい感じ。気付いたら1時間半くらい経っていた。
そこで、ふと気づいた。
…画面に人影が無い。よく見ると「無料版は1時間で自動的に切れます」という文字が映り、ポップアップで有料プランの選択を迫られていた。
多くの人に見られている、という視線を感じながら集中していたつもりが、実は誰にも見られていない状態で勝手に一人で作業していた。僕を見ていたのは、無機質なプラン選択の画面だけ。
え、これはパノプティコン….
パノプティコンの囚人
誰も見ていないのに、監視を内面化して規律正しく振る舞う。
これはまさにベンサムの「パノプティコンの囚人」の構造だ。囚人からは看守が見えない刑務所。看守が見ているかもしれないと思いこむことで、看守がいなくても囚人は勝手に行動を規制される。自分の中に空想の看守が住みだす。
パノプティコンの比喩は、通常はポジティブな文脈では使われない。社会思想家のフーコーは、これを「近代的な権力の構造」と批判的に指摘したが、僕にとってはこの「無料プラン・パノプティコン」は大歓迎だった。お陰で課題が終わったから。
たしかに僕は囚人だった。最初の1時間、監視された囚人であり、その後は架空の看守を心に住まわせた自己束縛的な囚人だった。だが、おかげで集中できた。夢中になった。
僕は確かにパノプティコンにいたが、「幸福な囚人」だった。
….
現代の不幸な看守
幸福な囚人は意外と悪くなさそうだ。
現代には、その真逆の存在が多いように思う。「不幸な看守」だ。
スマホを片手に、スクリーンの向こうの何かを常に見張っている。SNSで叩く相手がいないか、誰かが自分よりいい目に遭ってないか、自分より不幸な人はいないか。ゴシップを追いかけ、最新情報のスクープを待つ。先日書いた、AI驚きおじさんもこの類かもしれない。一時期流行ったclubhouseに、1日18時間張り付いていると云っていた、ひとり社長のおじさんもいたっけ。
最初は目的を持って見張っていたかもしれない。でも、やがては見張ること自体が目的化し、ただひたすら見張りを続ける。囚人などいないのに、心の中の幻影に向かって監視を続ける。これは不幸な看守だ。
パノプティコンの完全な逆構造。
自白するニュースレター
不幸な看守。
SNSは、「次に何が来るか」という期待で人を縛りつける。アルゴリズムと、とめどない更新性が期待を加速する。看守は忙しい。脱獄は不意に起こるかもしれない。囚人同士が喧嘩を始めるかも知れない。だから常に気を抜かずに見張り続けねば…看守に安寧の時は無い。
ニュースレター、少なくとも「A Voundaly」の設計はその逆であろうと思っている。毎朝7時、決まった時間にこちらから届けにいく。
ただ待っていればいい、ニュースレターは自ら交番に出頭し、勝手に自白を始める。見張らなくていい、看守の仕事は必要ない。僕がニュースレターに可能性を感じている理由、毎日配信という設計を試しているのには、そういう訳だったりする。
厳しい見張りより、素直に出頭する文化の方が良くないかい?
幸福な囚人
StudyStreamで集中できた。
途中からは、誰も見ていないパノプティコンだったのに。監視の必要は飽く迄きっかけだけで、その後は「経済学を学びたい」という、自分の内なるやる気によって続けることが出来た。焚き火は着火に手間が掛かるが、適切な燃料があれば、そこからは放っておいても燃え続ける。
それも結局、なにか自分なりの「熱」があるからこそだろう。
――ヘビの話(sorami)
でも、自分の中に熱があっても、弱い人間は最初に「着火剤」の補助が必要だ。
そんな時、他者の存在に助けられることは多い1。
毎日ニュースレターを書いている。書き終わって、ああ、明日も書くのかと思う。こう見えて実は結構大変だ。でも、お陰様でそれなりに読者もいる。どうせなら良い文章を届けたい――これもひとつの牢獄だ。
毎日書く、という檻を自分で勝手に作り、自分で勝手に入った。そして、読者と云う監視役を自ら集めた。看守は1200人を越えている。
でも、不自由だとは感じていない。朝シャワーを浴びながら、何を書こうかと考えている。完成したと思っても、時間があれば推敲を重ねる。一人で、自分のためのメモ書きを残すだけの習慣だったら多分こうはならない。他者の目が僕には必要だ。別に出ていこうと思えば出ていける。でも自分の意思で、このパノプティコンにいる。
幸福な囚人。―― 牢獄にいるが、ここにはひとつの自由の形がある。
看守の皆さん、明日も僕は7時きっかりに出頭し、勝手に自白を始める。見張る必要はありません…あなたはもう、僕の中で勝手に内面化されているのだから。
ちなみに、僕はsoramiの文章がもっと読みたくて彼をA Voundalyという牢獄に入れることにした。彼はひとりだと書き続けないから。でも、仲間に入ってくれさえすれば、もう細かく見張る必要はない。





はい、看守は見張らずに大人しくニュースレターをお待ちしています。
幸福な囚人…。
今から少しずつ発信をしていこうとしている者でもあります。
毎日定時に投稿していることに尊敬をしています。
囚われているが自由で幸せ。
その境地にいけるようコツコツ頑張ります。
今日もありがとうございます🙏
(最後にちょっと悪巧みのように書かれた文に、ふふっと笑いました。soramiさん、楽しみにお待ちしております🙏)