こんにちは 👋
hikaru さんに誘われて、 miyatti さんと一緒にこちらで記事を書くことになった sorami です。「思考のための道具」に興味があります。
共同執筆に至る経緯はこちらの記事をご覧ください。
さて、hikaruさんによる「ワニの話」という記事がありますが、それでは今日は私から「ヘビの話」をひとつ。
「虫の目 🐜」「鳥の目 🕊️」という言葉がある。
虫のように地表で細部をじっくりと観察する「ミクロの視点」と、鳥のように空から全体像を大きく見渡す「マクロの視点」。
それぞれに強みと弱みがある。だからこそ、どちらか一方に偏るのではなく、状況に応じてこれらを柔軟に使い分けていきましょう、という話だ。
『FACTFULNESS』を著したハンス・ロスリングは、私たちが抱く「世界はどんどん悪くなっている」という思い込みをデータで覆し、世界を正しく見る重要性を説いた。
最近ではハナ・リッチー1が『Not the End of the World』(2024, 和訳『これからの地球のつくり方』)で気候変動について、ただ頭を抱えて絶望するのではなく、データに基づいて課題を正しく捉え、適切に対処するための道標を与えてくれている。

こういったデータを用いた見方はとても効果的だ。一方で、そのような鳥の目だけでは不十分だとも思う。
私は以前、科学コミュニケーションについて学んでいたことがある。そこで繰り返し話題に挙がったのは「押し売りでは、人は受け取らない」という話だ。いくらデータが正しくても、それは個の人生を反映できているだろうか。それで皆が納得できるだろうか。
クックパッドでは「一行のログの向こうには、一人のユーザがいる」というのが伝統のフレーズだったそうだ。それぞれに物語がある。
そのように個々の想いへ寄り添う虫の目も、やはり欠かせないものだろうと私は思う。
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他には「魚の目 🐟」というのもある。
これは「流れを読む視点」を指す。ミクロ・マクロといった空間的な見方だけでなく、時代の潮流やトレンド、過去から現在、未来へと続くストーリーを観察するものだ。
2012年に自然言語処理の研究を始めた当時、私はChatGPT以降のようなAIの受容と発展を想像していなかった。しかし振り返れば、現代に通じる連続値を用いたモデルや、桁違いにデータを増やす手法の萌芽は、すでにその頃から見えていた。当時の兆しから流れを丁寧に読んでいれば、もう少し手応えのある未来像を描けていたのかもしれない。
2016年に3兆3000億円を投じてARM買収に至ったとき、孫正義氏は「囲碁で言えば50手先に碁石を打ったようなもの。この世界で命を懸けている人にしか分からない。まあ、そのうち分かりますよ」と嘯いたそうだ。彼なりの、魚の目があったのだろうか。
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さらに「コウモリの目 🦇」という言い方もあるそうだ。
天井から逆さまにぶら下がるコウモリのように、常識や前提をひっくり返し、あえて逆の立場や視点から物事を見る。なかなか上手い言い回しだ。
私は仏教思想に興味があるのだが、一般的な現代の日本人からすると、特に初期の仏教はかなりぶっ飛んだところがある。
開祖ゴータマ・ブッダの教えを現代風に言うなら「異性とは目も合わせないニートになれ!」となる。なんと反社会的だろう。しかし、これが2500年間も途絶えずに残っているのは、そこに価値を見出す人々が絶えなかったからに他ならない。そこに真実の気配を感じないだろうか。常識をひっくり返した視点からしか見えないものが確かにある。
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他にどのような「目」が考えられるだろう?
こんなのはどうか、「ヘビの目 🐍」。
ヘビにはそもそもまぶたがなく、まばたきをしない。あの独特の凝視しているような佇まいは、どこか圧迫感を覚えさせる。
実のところ、ヘビの視力はそれほど高くないらしい。種類にもよるが、土中に生息するものや夜行性の種は、かろうじて明るさを感知できる程度だという。
しかしヘビには、もうひとつの「目」があることをご存知だろうか?
それを「ピット器官」と呼ぶ。人間が目で「光」を感知するように、ヘビはこれを用いて「温度」を「熱の映像」として知覚する。この能力のおかげで、彼らは光が一切ない真っ暗な中でも、獲物の位置や形を正確に捉えられるのだ。
数メートルはなれた位置にいる温度差のある物体を「視る」ことができ、少なくとも0.003℃の温度差を感知できる[4]。可視光に対する視覚と同様に、赤外線に対する感覚として働き、眼球と合わせて総合的な視覚をヘビにもたらしている
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ここで私が言いたいのは、「熱を視る 🔥」という視点が大切ではないかということだ。
現場の具体、抽象的な戦略、時代のトレンド。どれもそれぞれ重要だ。しかし、そこに生きる人々が生み出す場の熱狂や、あるいは底流にある冷ややかな空気感を捉え損ねてしまえば、物事は途端にままならなくなる。
例えば、私が所属する IVRy というスタートアップには「熱」がある。それがあることで起こることが沢山あると感じる(この会社に誘ってくれた友人の Yuta Yoshida による記事も参考になる: カルチャーは偶然じゃない:組織のモメンタムを生む5要素 - ysdyt.dev)。
また、スタートアップのような熱狂とはまた違ったかたちの熱もある。hikaruさんは、自身のメルカリとデジタル庁での体験の対比から、後者のそれを「地熱」と言い表していた。
他にはこんな熱の捉え方もあるだろう。イギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルが残した「Cool Head, but Warm Heart」という言葉だ。
「ケンブリッジが世界に送り出す人物は、冷静な頭脳と温かい心をもって、自分の周りの社会的苦悩に立ち向かうために、その全力の少なくとも一部を喜んで捧げよう」(伊藤宣広訳『経済学の現状』)
熱くなるあまり、冷静さを欠いていないか。逆に、冷徹な理屈に囚われて、温かさを忘れていないか。これもまた、熱を視るという営みのひとつだと思う。
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ここまで様々な視点から長々と書いたが、それも結局、なにか自分なりの「熱」があるからこそだろう。Substack で初めて書いた記事の「楽しく書く」という話に立ち戻る。
はてさて、ここからの執筆がどう転んでいくか。多様な視点を持って、ヘビーに考えすぎずやっていけるとよさそう 👀 🐜 🕊️ 🐟 🦇 🐍 🔥
蛇足だが Hannah Ritche も、Substack「By The Numbers」をやっている





楽しく興味深く読ませていただきました。
皆さんの知識や経験、それぞれの視点、思考の癖?などが重なって醸される文章がたまりません。ありがとうございます🙏
次回も楽しみにお待ちしております。