妻は、ガスコンロ派である。IHは余り好きではないらしい。僕も同じである。
料理は、轟々と燃える火力を目に見ながら、こそだと思っている。しかし、時代の流れはオール電化で、全体としてはIHの普及が進むと言われている。
GWに時間を作って、比較制度分析序説(青木昌彦)を読んでいた。最近興味を持っている、制度の経済学についての本である。この本が面白かったので、ガスコンロを例に取って、「制度」というものについて考えてみる。著者の青木は、特にガスコンロの説明はしていない。彼は、日本の組織と金融システムという制度を主に取り上げている。ガスコンロは、僕の勝手な例示のチョイスである。
記事は少し長くなったが、「世界を良くすることと、その困難さ」に興味がある人には、最後まで読んでもらえると幸いだ。
制度と補完性
まず、制度という言葉について。
制度と書くと、法律や人事制度等のきっちりと定まった「ルール」を指すように思える。青木が扱う制度とは、世間一般に想像されるそれよりも遥かに広い範囲を指す。
制度とは、人々のあいだで共通に了解されているような、社会ゲームが継続的にプレイされる仕方のことである。
――青木昌彦. 比較制度分析序説
近年はIHコンロが普及しているが、ガスコンロを使っている家庭はまだまだ多い。つまり、人々は「調理キッチンにはガスコンロっしょ」という共通の了解を元に、この社会を生きている。つまり、ガスコンロはそれ自体が制度である。
単に機能面のメリットだけで言えば、ガスよりIHの方が優れている。例えば、エネルギー効率。IHはエネルギーの95%が調理器具の加熱に使われるが、ガスは出力の50-60%で調理器具では無く周囲の空気を温めている。
ゆえに、社会にガスコンロが維持されている(=社会ゲームの継続的なプレイ)のは、多数の「制度」の存在によると言える。それは、マンションのキッチンでガスコンロが多い、といった事情もそうであるし、長い期間をかけて、調理は火でするものである、といった人々の信念も含まれる。ガスの所用加熱時間を基準に書かれたレシピの多さや、それを基にした人々のこれまでの経験値、また持っている調理器具がIH対応でない人も多いだろう。
キッチン仕様・信念・レシピ・調理器具。青木の「制度経済学」の定義に照らせば、これらの全てが、れっきとした「制度」であることになる。
そして、それらの個別の制度は、個々に独立ではない。信念や調理器具の存在が、IHの導入を拒否し、ガスコンロを社会に固く固着させる。以前の記事に書いた、タイプライターが慣れてしまったから、QWERTYキーボード配列を変更できない、と同じ話だ。これは、経済学的には「制度補完性」と呼ばれる。
制度補完性は、世の中の物事が変わりづらい理由、一部の制度だけをいじっても改革がうまく行かない理由等の大部分を説明する。卑近な例だと、DXとかキャッシュレスとか。これらは、複雑なエコシステム全体を一気に変えなければ、本質的な変化は起きない。トップダウンで個別のルールだけを変更しても、周囲に存在する数多の「制度(青木的な意味で)」との粘着性がそれを阻む。
ある制度要素を他の要素から独立に変更しようとしても、その有効性は限られてくる。制度体系は、あたかもひとつのパズル絵のごときものとして存在するので、その一片一片を勝手に取り替えれば、絵としての整合性が失われてしまうのである。このようにして、制度の体系は、本来、慣性的・保守的なものとなる。
――青木昌彦. 比較制度分析序説
経路依存性
ちなみに、家庭の調理方法がガスコンロの火であることに必然性はない。
少なくともIHは、上述したエネルギー効率のほかにも、安全面・メンテのしやすさ等、大枠の要素でガスに勝っている。
ガスコンロが現代を席巻したのは、単に、家庭用調理の近代化が進んだ時代に、たまたまガスが選ばれる要素が強かっただけだ。これは、歴史経路依存性と呼ばれる。
19世紀にガスコンロが普及したのは、当時のインフラ事情が大きかった。明かりをガス灯に依存していた時代の産物で、都市部にはガスのインフラが整備されていたが、エジソンによって電球が発明され、照明器具の電化が進められた。危機意識を持ったガス会社は、ガスのためのインフラ投資を無駄にしないために、ガスのユースケースを照明から熱源(調理・暖房)に切り替え、ガスの有用性を猛烈にプロモーションした。これがガスコンロに普及し一役買った。また、19世紀当時の電気網や調理器具の開発技術では、IHを実現できなかったにも間違いない。
つまりは、近代的なキッチンが19世紀という時代背景の中で整備されていったという偶然が大きく、現代で、IH/ガス/超音波など、調理のための加熱技術が横並びで検討されれば、ガスが選ばれる可能性は高くないかもしれない。
経路依存性が示唆することは、それは偶然に過ぎないんだけどで書いた通りだ。
キーボードの配列だけでなく、社会のあらゆる制度が、経路依存によって、ある種の偶然で生成されている可能性がある。世界は、僕らが思っている以上に、偶然という不安定な土台の上に構築されているのかも知れない。…
(中略)僕たちに出来ることは、身の回りにある全てのことが、唯一の「必然的な正解」ではなく、「偶然たどり着いた単なる一つの可能性」に過ぎないことを理解し、その上で、当然と思われている物事に、健全な疑いの目を向けることである。
起業家と人々の期待
ちなみに、2000年以前はIHは存在しないも当然だったが、環境省の調査では、2022年時点ではIHの普及率は25%程度だという。ガスコンロという制度は、変えづらいものではあるが、変更が一切不可能な制度という訳では無い。
青木は、ゲーム理論と動学的最適化を使い、スタートの条件(=経路依存性)に寄らず、最終的に制度が最適なものに落ち着くための必要要素を挙げている。これは、僕の理解では次の二つに集約される。
a. 起業家(経済学的に言うところの「将来期待割引額が小さい経済主体」、つまり長期の視点でベットする視野を持ったプレイヤー)
b. アジェンダセッティング (経済学的に言うところの「人口のかなりの部分にわたる、将来変化の可能性についての期待形成のコーディネーション」)
社会の企業家精神の発揚に、制度進化の可能性は大いに依存することになる。しかし、人々の将来期待がうまくコーディネートされなければ、彼らの現在行動は既存の制度補完性によって条件づけられ、保守的慣性が支配することとなる。
――青木昌彦. 比較制度分析序説
マーケットの参加者に、平均的な人々だけを仮定すれば、制度は局所最適なものに陥る。そこに、起業家のように、違った行動原理(長期の視点)を持った主体がいることで、最終的に社会で安定する制度は異なった結果になる、というのが、数学的に証明される。興味深い事実だ。
ただ、そこには人々が将来的な変化に対して、共通の見解を信じている必要がある。これは、いわゆる課題設定能力(アジェンダ・セッティング)である。これが、今後の人間に残される重要な仕事になる、という仮説を第3のファクターと、人間に残るもので書いた。
制度経済学が教えること
つまり、制度経済学の指し示す含意として、物事を良くするには、
1.経路依存性の理解
→ (現実への解釈)身の回りのものが偶然の産物で現状の落ち着いており、「ベスト」でない可能性を疑う2.制度補完性の配慮
→ (現実への解釈)物事は絡み合っており、複雑で、単純なルール変更等では対処できない。事象同士の関連性、エコシステムに正しく目を向ける3.将来期待割引額
→ (現実への解釈)長期の視点を持つ、将来に目を向ける、起業家的であること4.期待形成のコーディネーション
→ (現実への解釈)あるべき未来について、人々の認識を統一し、共通化する「アジェンダセッティング」の必要性
が重要であると、僕には読める。
これらは、それなりに世の中が見えている社会人からすると、ごく自然な内容に思える。つまりは、納得感がある。僕も、この5年ほど仕事で考えてきたことの、95%程度がこの要素で説明できるのではないか、という気さえする(進まない国のDX、短期の目線しか持たない人たち、データを示して組織が動いた時の強さ、常識を疑う起業家の強さ、ビジョンや共通ゴールの必要不可欠性..)
ちなみに、この4つの要素は「現実ってそういうもんでしょ」でなく、数理的なモデルを使って導き出された結論である。この点に、僕は驚愕を覚える。
(※ 経済学的な補足)
この4要素は、ゲーム理論のモデル上は、
1はゲームの開始点と複数均衡の存在、
2はある均衡から他の均衡に移行するコスト、
3はプレイヤーの長期利得計算の係数、
4は複数の均衡から一つを選択するためのフォーカル・ポイントの設定、
を意味している、のだと思う。
青木は、日本が誇る世界的な経済学者だ。
偉そうに言ったが、去年まで名前程度で何をした人なのかを知らなかった。彼は、制度経済学の大家である。僕が興味を持っている研究分野で、世界的にも高名な日本人がいたことには、この上ないラッキーである。


制度と経路依存性の話、機械学習の勾配降下法で考えることと似ていると感じました。
より良いパラメータに到達するための工夫が、現実社会で制度として存在してれている、もしくは勝手にそうなっていそう(ノイズを加えたり)、なのが面白いです。
単純な疑問なんですが、昔のnoteの記事よりも意識的に読点(、)を多めに打っていますか?
p.s 文体が変わったなと思っただけなので気分を害されたらすみませんm(__)m