1億円貯めて年間5%の利率で運用すれば、毎年500万入ってきてそれだけで生活できる、的な話がある。それは確かに夢があるが、現実には、元本を減らさずに年間5%の利率で安定運用するのはそれほど簡単ではない。質の良い投資信託やファンドを買えば1%を超える手数料もザラだし、運用益には20%課税もされる。税金を舐めるな。1億・5%・500万というのは、かなり単純化した計算だ。
でも、「目減りしない元本があって、それを運用して利益をずっと受け取り続ける」。これは生活の安心の確保という点では、ひとつの理想ではあるだろう。
ここで、テーマをガラッと変えてAIと労働の話をさせて欲しい。
米国NYにShiftというサービスがあって、無料で家事をやってくれるという。何故無料かと言えば、データ収集が目的だからだ。作業者にデバイスを装着させて作業内容のデータを取り、それを家庭用ロボットの動作エンジンを作るAI企業に売る。掃除以外にもカテゴリーを広げ、配管工事や料理などにも同様のモデルで参入予定らしい。
こういったサービスは増えるだろう。
でもこれが何を意味するのか?と訊かれたらどう考えるか。AIに仕事を奪われる、という表現は有り触れているが、僕の目にはこれは労働の「資産運用」モデルから「元本の取り崩し」という新たなモデルへの転換に映る。そのことについて少し書いてみる。
労働という資産運用
人は仕事をして給料をもらう。これは実は「資産運用」的な側面があるんじゃないかと思う。いまのところは。
労働者の中には仕事に関する「暗黙知」が貯蓄されている。要は手順とかコツみたいなもの。こういう順番で掃除すると効率が良い、とか、車道にトラックが停車している場合にはこうする、レシピに書いてないちょっとした料理の作法とか、色々。
仕事とは物理的に見れば「作業」であるが、その作業に暗黙知を乗せると、作業の付加価値が高まる。その作業×暗黙知 の合算に対してあなたの給料が支払われている。そう思いませんか?
暗黙知が資産、それを労働に載せて運用して対価を得る。暗黙知は目減りする訳では無い1という意味では、これは「資産運用」と同じ効果だ。
僕たちは労働を通して自分が持つ暗黙知から配当を得るという、資産運用を日々やっている。国民総資産家計画が既に実現していた。
元本の強制償却?
暗黙知に配当が払われているというのは,実際のところ大袈裟でもない。2026年のダラス連銀の分析によれば、暗黙知(ここでは代理変数としての経験2)がものを言う仕事ほど、AIの台頭後も賃金はむしろ伸びいるという結果が出ている。暗黙知は賃金にプレミアムを乗せる。まさに配当を生む資産なのだ。
効率的で質の高い掃除の仕方を知っている。これは十分に価値が高い暗黙知だ。いまホームまでであれば、この暗黙知と労働を掛け合わせれば、それなりの配当を何十年単位で受け取り続けることが出来た。
そこで、Shiftのようなサービスの登場は何を意味するか。これは「資産運用をやめて、元本を取り崩しましょう」という囁きである。貴方の暗黙知には資産としての価値がある。だから、運用ではなく資産として取り崩して消費しちゃって下さい3、というわけ。
あなたの給料は作業×暗黙知 の合算、であると書いた。作業をPhysical AIが代替できるのであれば、そこに暗黙知を投入すれば作業の自動化を商売にして稼ぐのは簡単だ。だから暗黙知の取り崩しにはちゃんと値段が付く。
労働は楽ではないかもしれない。だけど、これまでの時代は一度蓄えた暗黙知が市場で希少性を失うまでの期間、我々は配当で優雅に暮らしていられたという見方も出来る。元本の取り崩しを迫られる世界では、事情はだいぶ変わってきそうだ。
暗黙知の市場
暗黙知の買い取りは、市場としては綺麗に成立する。企業・消費者・労働者、3者が取引によってそれぞれ、その効用と利潤を上げられる(少なくとも短期的には)。そうなると、あとは、単に価格の問題でしかなくなる。
暗黙知の市場を形成する大きなファクターは3つ。第一に、データが一定量取れること。第二に暗黙知の高さ。第三に、Physical AIを投入した時の市場規模。
ただ結局は市場規模が唯一のファクターになると考えられる。
1.データ量。
AIは、工程反復のデータを大量に食うことで精度を担保する。反復のサンプルが多い仕事ほど、買い取りやすい。伝統工芸の制作は、掃除に比べれば、作業のサンプル量が少ない。だから、掃除のほうがデータの収集には向いている。
だが、これは動かせない壁ではない。経済学的には、データ量が足りないなら、データの価格を上げてその仕事に参入する人の数を増やせば良い。仮に「南部鉄器の制作作業」に時給10万円の値段が付けば、いまから南部鉄器を学ぶ人が増えるかもしれない。これは極端な例だが、今後は「新しい技能」を身につけて、その暗黙知をデータとして売る、というモデルで労働市場が動く可能性がある。そうなると、物を言うのは潜在的な市場規模の大きさということになる。供給の制約で市場規模を制約されることは減る。ただ、中長期的には、それによって希少性に価値を見出される種の製品市場は破壊される。
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2.暗黙知の高さ。
これもデータ量と同じで、暗黙知の度合いが高いものはデータ収集の難易度も高いが、市場が大きければ価格の調整で解決される。外科手術、放射線の読影、運転などは極めて高度な暗黙知の塊だが、データと市場がデカいのでPhysical AIに早期に食われると考えられている。
ただ、暗黙知には手続的なものでなく、文脈的なものもある。後者は模倣が難しい。
家事代行を使っていたことがあるが、運よく、最初の担当が最高のキャストで、痒いところに手が届く人だった。僕や妻の生活や、家の中を全部理解してくれて、手を付けるべきでないところは守りつつ、それ以外は自発的に考えて掃除や片づけをしてくれた。 ムスメも可愛がってくれた。言葉通り神対応。
でも、担当が代わってしまって、単に作業をこなすだけの人が来るようになり、我が家は家事代行そのものをやめた。文脈を理解していない作業者は、感情面でこちらにコストになる。この手の「文脈的」な暗黙知を人類がどう評価し、どう扱っていくかは気になっている。ただ決められた作業をしてほしいわけではないんだよな。近い話は以前に秘書とAI Agentでも書いた。
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結局は、市場規模が期待できれば、1.データ量、2.暗黙知の高さの問題は凡そは価格によって解決されるはずである。データ収集日にどれくらいの期間が必要かはわからないが、配当程度の金額で元本そのものを奪えるのであれば価格的にはかなり有利なゲームになる。市場が小さいものは、価格がつけられずデータ量を増やせないので、この波からは免れるだろう。文脈的な暗黙知が高い仕事は….恐らくは、見えないことにして無視される。
NEXT労働モデルの世界
配当モデルがなくなり、元本取り崩しモデルの時代になると、労働者は、暗黙知を身につけ、売り、また別の暗黙知を身に付け…という稼ぎ方になるのだろうか?僕が学生のころ、資格ゲッターピカイチという堂本光一が色んな資格の取得に次々と挑むという企画があった(蕎麦打ち、小型船操縦、木材伐採、腕相撲の審査員など…)。そんな感じの生き方になるのだろうか。ちょっと面白そうではある。その場合、技能を身につける間のリードタイムをどう保障するか、という話が不可分なので、リスキリングの補助金やベーシックインカムといった議論になりそうだ。
逆に、AIに吸い取られないものはなにか?よくある議論だと思うが、これは抽象化すれば人の価値が「何が出来るか」から「何を引き受けられるか」に移行する、ということに尽きると思う。つまり、決定・審美・裁定・責任といった、何かを引き受ける主体である、ということ4。
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このニュースレターでは、「審美や主観」についてよく考えているが、それは暗黙知の度合いが最大限に高く、全く同じデータが世界にふたつと存在せず、しかし将来的には市場がそれなりに見込めるタイプの情報だと思う5。
だから、AIブームに振り回されて、あれこれと周囲の意見に流されるよりは、自分だけの審美と主観を磨いてその資産を運用するのは、今後の世界でスジ良しと思うがどうだろう。Substackにはその種の書き手は多い気がして、結構面白い。
あーなんか中途半端に真面目な記事を書いてしまった 疲れてんのかな笑
もちろん、実際には暗黙知の価値は、市場からのニーズに寄って上下はする。これは投資信託の基準価額が上下するのと同じだ。
正確には、暗黙知そのものが減るわけではない。減るのはその市場価値=希少性だ。暗黙知が賃金と正の相関を持つことは、Schaal (2025) でも確認されている。
厳密には、暗黙知は物理的に「取り崩されて」減るわけではない。売っても本人の頭には残る。減るのは暗黙知そのものではなく、その市場価値だ。ある暗黙知がAIに移り、無限に複製できるようになった瞬間、それを持っていることの希少性が消え、値段がゼロに近づく。元本を取り崩すというより「元本は手元にあるのに、市場価格が暴落する」が実態に近い。
もちろん審美と主観にも、市場が大きいタイプのものと小さいタイプのものがあるが。



中途半端に真面目な記事なんですね🤭
時々「おお…これは理解しようと思ってもムリだ…」となる「これがHIKARUさんの専門分野なのかな…」と思う記事が登場しますが、
こういう感じだと理解できてわたしは助かります😂
面白かったです😊
AIに取って代わられる分野に「外科手術」とあってピクっとしちゃいましたけど、データの蓄積によってイレギュラーな事象や症例もクリアできるようになっちゃうんだろうな…。でもきっと、肝心なところ以外安全にサクサク進めてもらえるなら、実際現場の人も助かるんだろうな。
「やりゃいいってもんじゃないんだよ。」っていうところから、「あなたじゃないと」が生まれて、その人個人の価値となっていきそうですね。