希少性の終焉~AIは経済学をどう変えるのかというnoteが公開されていて、これまでの経済と資本主義、およびAI登場後の世界の予測などを、比較的網羅していて、面白かった。「経済学をどう変えるか」はだいぶ語弊がある気がしていて、経済の前提がどう変わるかといったところだろうが、人類と「時代ごとに希少だったもの」をなぞることでこれまでの経済とAIの登場による前提変更を考察するというプロットは、まとまりがよい。
幾つか気になった、AIによって起こる経済・社会の未来予測について、自分なりに少し考察をしてみる。こうでもして、自分のアタマを使う、意見を持つ訓練をしないとね。って思う近頃。
所有は溶け、全てはシェアになる
仮説:AIエージェントがありとあらゆる取引をゼロコストで仲介することが可能な世界では、ものを所有する意味がなくなる。
あなたが「ドリルを使いたい」と思った瞬間、AIが近隣で稼働していない最適なドリルを検出し、自動運転のドローンや小型ロボットが数分であなたの手元に届ける。使い終われば、ロボットがそれを回収し、次に必要としている人のもとへ運んでいく。この世界において、わざわざ大金を払ってドリルを「所有」し、クローゼットの肥やしにする意味がどこにあるだろうか。
— 第2章 交換
これは、望ましいのでぜひ起こってほしいなと思う。メルカリで働いていたので、シェアリング・エコノミー的な世界観は水が合う。
以前に、AIで生産性を上げろって?で書いた通り、個々人が各々で商品を所有するがために、稼働率が低いことは気になっている。かつては、個々人の関係性で貸し借り(いわゆるご近所の醤油の貸し出し)があったが、これをAIによるマッチングを使って復活させるというところだろう。「所有」がなくなるという前提なので、地域ごとにシェア用の財が大量に置かれたセンターのようなものが出来るイメージだろうか。
これは物理的な製品に関して云うなら、住む場所の非対称性が効きすぎないか、というのは気になる。バスや鉄道は広く見れば個人で持てない財のシェアだが、過疎地ではバスや鉄道が採算が合わずに撤退する問題が発生する。
これらの「シェア財」は人口集積地であれば可能で、逆に過疎地では機能しづらい。人口が500人の村に、これらのシェア財を全て揃えたセンターが作られるだろうか1。
貨幣の消滅と信頼トークン・意味の経済圏
仮説:元来、米等の腐るために保管できないものを、年月が経っても価値が劣化しないように保存する「タイムマシン」が貨幣の機能。AIが必要なものを瞬時にセロコストで生産するようになれば、富を保存する必要がなくなり、貨幣は不要になる。その代替として、人々からの注目・信頼・共感・意味などをスコア化したトークンが新しい貨幣のような役割を果たす。
スマートフォンの画面をタップするか、頭の中で念じるだけで、生成AIと3Dプリンター、そして自動化された分子結合ロボットが、あなたが必要とする最高の衣服、栄養バランスの取れた美食、快適なシェルターを、その場で「無から」創り出してくれるようになる。このような世界において、「将来の病気に備えて1000万円貯金する」とか「老後の蓄えのために資産を運用する」という行為に、一体どれほどの合理性があるだろうか。…
…AIは、これらの多次元的な「評価」や「意味」をリアルタイムで数値化し、パズルのように組み合わせることで、国家の発行する「お金」を1円も介することなく、人間同士の高度な交流やプロジェクトの立ち上げを可能にする。
— 第3章 貨幣
これは、経済学者の成田悠輔や哲学者の荒谷大輔が近いことを言っている。
意味や共感のトークン化というのは、そこまで具体でイメージが沸かないのだが、近い価値観のコミュニティ内で通用するものローカルな通貨だろうと思っていて、要はムラ社会での昔ながらの「貸し・借り」や親分・兄貴力を具象化する物とも思えて、そういうのが苦手な僕からすれば、かなりグロテスクな社会観ではある。
これが良いか悪いかは、人の「欲望」と「意味」のどちらが良い多様性があるかに寄って決まると言って良いのだろうか。
つまり、現在の資本主義的社会では人は自身の能力を市場に投じ、これを人々の「欲望」と強くアラインメントできた人間が貨幣を多く稼げる。この貨幣量によって何が出来るか、が決まる。一方で、上記仮説の意味トークンの社会では、人々が価値を感じる「意味や共感」を多く実現できた人間が多くのトークンを稼げる。
貨幣でもトークンでも、多く持っている人間が得をする。
意味・共感トークンは平均的、マス的感覚を持っている人が有利で、そこから外れる人はよっぽど突出してないと稼げなそう。僕は多分稼げない、しかも恐らくはかなり先天的な性格が理由で。恐らくいまの貨幣的な資本主義以上に、生まれつきの「負け組」が決まってしまいそう。その代わり、負けでない方はいまよりは大差がつきづらいのでは2。
いまの資本主義的社会=欲望ベース のほうが価値の種類が多元的で、誰でも逆転できる要素は多いように思うが、どうだろう。
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組織の境界線が溶ける
仮説:経済学的な解釈は、組織が存在する理由は市場を利用するための「取引コスト」を節約するためである(ロナルド・コース)。しかし、その代替に組織内部ではコーディネーション・コストが掛かる。AIは市場の取引コストをゼロにするので、組織の境界線が溶け、流動的な経済圏に変容する。
AIは、世界中の最適なスキルを持つ人間のAIエージェントや、稼働していないロボット工場と瞬時に交渉し、最適な「仮想チーム」をその場に自動組成する。プロジェクトが完了すれば、チームは一瞬で霧のように解散し、各自はまた別のプロジェクトへと流れていく。…(中略)
….これまで、一つの巨大な「箱」でなければ保有できなかった資本や労働力という希少性は、クラウド上のAIネットワークを通じて、誰もが「必要な時に、必要な分だけ利用できるオンデマンドなリソース」へと変わる。…(中略)— 第4章 組織
組織の経済学には僕も興味があるので、論理的な理路としてはわかる。でも後にも出てくる「人間は意味にシフトする」という主張とは矛盾すると思った。人間が仕事をいま以上に意味を吟味して選ぶようになるとしたら。寧ろ取引コストは上がるんじゃないか?
AIが仕事を斡旋してくる。でも、スキルマッチ以上に人は仕事の「意義」を重んじるようになる。その時に、AIは人と仕事やプロジェクトを適切に媒介できるのだろうか。個々の人間が「何に意味を感じるか・アツくなるか」をデータとして理解できるのだろうか3。
階級化
仮説:AIによって考えることが完全に外部化されるので、多くの人は考える力を失い、UHIで生活は享受しながらも一種の奴隷状態になる。その一方には、AIを使いこなす貴族的な階級が存在することになる。
知能がコモディティ化する世界において、真の格差は「どれだけ頭が良いか(知能の高さ)」ではなく、「どれだけ主体的に世界に関わろうとするか(意志の強さ)」によって生まれるようになるのだ。
… 一方で、もう一つの極には、AIという巨大な知能のレバレッジ(テコ)を使いこなし、自らの人間の枠を超えたプロジェクトを次々と立ち上げる「極少数の意志の貴族」たちが現れる。彼らはAIに「答え」を求めない。
— 第6章 知能
ニーチェの畜群と貴族(および超人)がモチーフだろうか。
これは、もう既に一定は起こっている気がする。今時点では、大成功する人は、①意思の強い起業家 ②知識に長けた専門家 なので、②が少し衰退するという程度の予想になるのかなと思いました。あと、別に今時点でも知能やアタマの良さに依拠しているわけでなく仕事している人はいっぱいいるだろう。
意思とか意味というのは、言ってしまえば、個人が特有にもつ「偏見」だと思う。つまり、個々が持っている強い歪みから来ているはず。逆に言えば、AI時代に育った人たちがどういった契機・どういった形での歪みを持つか、というのは気になる。
最近飲んだ知り合いが、いい感じに歪んでいてCoccoだのHideだの、音楽の話をコアにしたのだが、彼は結構に裕福な良家の出身で。なんで歪んだんですかって聴いたら、恵まれている環境はそれはそれで歪むことあるんだよって言われた。納得。
意味の希少性へのシフト
仮説:AIによってこれまで人生が直面してきた全ての事物の希少性が揮発するなかで、唯一残るのは「意味」という希少性である。
その結果、市場で圧倒的な希少性を持つようになるのは、AIには逆立ちしても計算できない、「私」という極めて主観的で、固有で、割り切れない領域――すなわち、不確実性を背負って最終決定を下す「判断の覚悟」であり、騙されるリスクを越えて結ばれる「人間的な信頼」であり、効率を犠牲にしてでも貫き通す「独自の美意識(世界観)」なのである。
— 第7章 価値
唯一かはわからないが意味、「独自の美意識」が今後の世界の希少資源であるはずだというのは賛同。AIはその原理上、無数の事例の平均・中央値を確率的に選択する戦略のもとに成り立つ道具。故に、サンプル数が少ないもの――個人の主観や美意識といったものは模倣できるように設計されていないはず。そして、美意識は単一の表象に現れるのではなく全ての価値判断にネットワーク化されるので、まるっと模倣するほどの精度を持足せるのは難しい。つまり、希少であるということ。
あと、主観や美意識は「確率的“ではない”方法で、何かを捨てる」ことで形成されていると思うので、やはりロマンがある。
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AIが生産物をコストゼロで必要なだけ無限に供給できるという前提なのだろうが…
欲望は具体だからバラエティが生まれる。チョコとキャンディは別々に成立する。意味は抽象だからより種類が少ない。甘味財は全て「甘さ」という意味に束ねられる。「共感」はその定義上マスの一般感覚に収斂する力を内在している。しかも共感が共感を生む=乗数効果で画一化が加速する。欲望には模倣に加えて差異化の回路があるが、共感には差異化の動機が構造的に弱い。共感とは同じであることの確認だから、差異は共感の敵になる。
それは難しい気がしている、むかしGreenというベンチャー中心の求人サイトが自分好みのスタートアップを探せるように「創業者が若い」「オフィスにこだわっている」「ストックオプションあり」などの情報タグでの検索を提供していたけど、なんかそういうことじゃない感が強かった。もっとファジーな感性で探しているんだよな、こっちは。


