
とある関係で、キャリア相談的なものを2件預かっています。
普段、役に立つような立たないようなことばかりを書いているこのニュースレターですが、たまにはこういったのもよかろうということで、僕の考えを垂れ流す程度ですが、相談にお答えさせていただこうと思います。
(いただいた相談)
1.技術や市場環境が大きく変化する時代において、今の環境に残るか、外に出るかを判断する際の軸はどこに置くべきか
2.現職で管理職になる可能性が見えている状況でも、個人としての市場価値や専門性をどのように考えるべきか
3.若手~中堅の立場で、将来に向けて今から意識・行動しておくとよいこと
0/そもそも何を重んじているか
一点目の質問、
1.技術や市場環境が大きく変化する時代において、今の環境に残るか、外に出るかを判断する際の軸はどこに置くべきか
これはおそらく転職の判断軸ということと思いますが、提案したいのは「判断」ではなく「決断」について考えてみるのはいかが、ということです。この二つの違いについては、後に説明します。言葉のイメージだけで言えば、判断は論理的なもの、決断は感覚的なもの。しかし、僕はこれは逆だと捉えています。
その上で、
僕は、決断の主軸として「非対称性」を置いています。これまで、キャリアの選択に迷った時には非対称性を意識することが多かったです。ということで、そのあたりについて少し書いてみたいと思います。
1/自分の持つ非対称性
まず、自分について。
いま自身が持っている希少資源が何であるのかを考えます。
いま、というのがポイントで、「5年後にはもう行使できない、他の場所では行使できない」と云った特徴があるのが “いま時点での希少資源” です。
例えば、32歳と37歳では転職のしやすさは違います。26歳であれば、年収を下げて全く新しい職種に飛び込むことも可能ですが、38歳では転職市場と家のローンがそれを許してくれません。
逆に、10年間実績を積んできた仕事であれば、周囲からの信頼と生産性の貯蓄があるので、17時に帰って資格の勉強をしたり、社内で別の部署や職種に異動してチャレンジもできます。転職すれば数年間はその自由度は得られないかもしれない。
なにより、最初にこれを知っておくのは重要だと思います。
2/市場の非対称性
同様に、市場の非対称性にも注目する必要があります。
僕は2014年で、データ分析の専門職にジョブチェンジしました。ちょうど世界にデータサイエンスの波が来ているときでした。2016年にメルカリへの転職を決めました。当時、メルカリはスタートアップ界でも未曾有の成長で、国内初のユニコーン企業としてちょうど脚光を浴びているまさにその時でした。
2022年にデジタル庁に参画しました。政府機関が民間からの専門職を大規模に登用し、大きな権限を与えるという、日本の行政史上でも貴重な機会でした。
これらは、個人のコントロールを越えた、市場で一方的に生じる特異点です。これらを僕がなぜ「非対称性」として捉えているかと云うと、同等の機会が人生で再度起きる可能性がそう高くはないと判断しているからです。
実際に、2016年から10年が経った今、メルカリ規模のコンシューマ向けスタートアップは生まれていません。今後、日本政府がデジタル庁のような官民融合の組織を大規模に作る可能性も高くはないでしょう。
ただし、これが貴重な機会かどうかという「判断」は完全に主観的なものです。スタートアップに興味がなければ、メルカリの出現など、ちょっと活きの良い中小企業程度に過ぎません。
…
3/判断と決断
元々のご質問は判断の軸を何処に置くべきか、というご相談でしたが、僕はキャリアや人生の判断基準については、外部の意見を参考にするのは程々でいいのではないかなと思っています。
結局、どういった仕事を良しとするか、どういった人生を送り、そのためにどのようなキャリアと人生をともにしていくか、という基準は個々の中にしかないからです。先程書いた通り、メルカリを稀代のスタートアップと取るか、ちょっと頑張っている中小企業と取るかはその人の価値観次第です。
一般論的での「良質な判断軸」は探せば存在すると思いますが、あくまで一般化された合理なだけで、どこか退屈なうえに、多くの人が同様の判断軸をもとに考えるので、陳腐化され、意外にリスクもあります。それよりも、うっすらかも知れませんが、判断の軸はご自身の中に既にあるのではないでしょうか。
僕は昔よくキャリア相談を受けましたが、多くの場合、人はアドバイスを求める割には、それを素直に受け入れることはありませんでした。
そこで僕が気付いたのは、
多くの人は、自分の中に小さくとも「こうしたいな、こうなれたらな」という判断の方向性を既に持っている。しかし、それをどう最終的な決定に昇華すればいいのかわらないのではないか、ということです。つまり、本当に困っていることは「判断」を「決断」に育てる方法がわからないことなのではないか。
判断
物事の真偽・善悪などを見極め、それについて自分の考えを定めること。— weblioより
自身の生き方やキャリアに単一の正解はなく、真偽や善悪を合理的に導出することは出来ません。だから最終的には「まあこうするのが良かろ、えいや」という形でしかアクションを取ることが出来ない。つまり「決断」なのです。確実ではない中で「決めて・他を断つ」ことが必要になります。
4/曖昧なもの、技術的なもの
言葉のイメージだけで言えば、判断は論理的なもの、決断は感覚的なもの――そう思えるかも知れません。しかし、僕はそれは「逆」だと考えています。
生きていれば、何が好き・何が嫌い、そういった合理だけではない「判断の軸」は自然に育ちます。そしてそれは他人には理解が不可能なものも多いでしょう。だから、「こうするのがいいかな…」という仮案を育むのは、自身のなかにある、言語化できないものも含めた定性的で曖昧な判断軸でも良いのではないかと思います。世間に全く耳を貸さないのは危険ですが、他人の意見を聴くのは程々で良い。
一方で「決断」は、言葉の勇ましさとは裏腹に、実は合理的な「技術」として落とし込めるので、ここは大いに人のやり方を学ぶ余地がある。
判断は好き嫌いを含む、ファジーなもの。それに自分のキャリアをかけて良いのか、畏れがある。だから、畏れを飛び越えるために「決断する技術」を磨けば、自身の心に嘘がない選択肢に自分をBetする人生を手に入れられるのではないか。それが僕の仮説であり、かつ自分で実践していることです。
5/非対称性のキュゥべえ
ここで、最初の話に戻ってきます。
僕はキャリアについて迷った時に、いつも「非対称性」というそれっぽい理屈で自分を説得し、自身に決断をさせています。これは純然たる「技術の問題」です。
やり方は簡単です。非対称性を使い魔化の姿にして、脳内で飼ってください。
まどかマギカのキュゥべえみたいのが良いと思います。キュゥべえは、感情というより、合理的・取引的に契約を迫る存在じゃないですか。あれがいいんですよね。
四六時中、肩に乗っている想定が良いでしょう。キュゥべえは暇さえあれば耳元で囁きます。「ねえ。今日向き合わなくてもいいけど、半年放置したらこの機会はなくなっちゃうかもよ…それでいいの?――これは、時間に対して非対称だよ?」
この質問に対して、自分の奥底の答えが「No」であれば、そう時間を書けずとも決断ができるはずです。メルカリに転職する時には、半年くらい迷っていました。でも、デジタル庁の時は1日も迷わなかったんじゃないかな。技術は向上する。
時間的に非対称と思えるものでないと「まあいつか考えればいいでしょ」と肩の上のキュゥべえを論破できてしまいます。だから僕は、非対称という自分の逃げ道を断ってくれる事実を「決断軸」(≠判断軸)として使って生きています。
迷う、畏れる、逃げる。それは人間として当然です。だからこそ、その隣にはコントロールが可能な「技術」を置いておくと心強くありませんか。
….
えー、1個目の質問に対して、つい書きすぎました。
2個目は管理職についてですね。僕個人としては、管理職は経験しておいたほうが良いと思いますが、市場価値としてどう反映されるのかはよくわかりません。なんで管理職を経験したほうが良いかと云うと、正攻法で考えれば、今後は個別のプレーヤーの「作業」の価値はどんどん減じて、集合行為問題を解决できる人材がより貴重になると考えるからです。あと、人間の仕事はアジェンダ・セッティングに近いレイヤーのものが多く残されると信じているからです。あと純粋に管理職の経験は、普通に社会人として鍛錬になるし、人間としての視座も養えます。ただその事実が人材市場に適切に反映されるかと云うと、どうなのかなって感じです。大変なことは多いので、タイミングとか部署との相性とかも踏まえて考えるしかないですよね。でも結論、機会があれば早いに越したことはないんでは、って今は思います。
僕自身は33歳でチームのマネージャをやりました。当時メルカリにいて、管理職は死ぬほどやりたくありませんでした。とはいえ、経験してみないと、その価値も適正もわからんな、だからどこかで一度は、っていう判断軸は定まっていました。あとは決断の問題だったので、3か月くらい逃げ回った上で、真面目に考えることにし、キュゥべえを召喚しました。ヤツは「管理職はいつかやるのはキマりね。だとして、今この瞬間がベストだろうか?」と毎日言ってきました。
1週間ほどキュゥべえと付き合い、僕の答えは明確に「Yes」でした。何故なら、メルカリはメンバーも優秀だし、自由な社風だし、嫌だったらマネージャを降りれば良い、くらいの捉え方でも許される寛容さがあり、そして大好きな会社でした。場所としての非対称性が強かったんですよね。
—
…さて、だいぶ長くなってきたので、このあたりで筆を置かせてください。お訊きしたいことに答えられているかはわかりませんが、
僕が言いたいのは、判断は自身の中で適当に育くめば良くて、それを決断に変える技術が大事なんじゃないかってこと、そのために、「非対称性のキュゥべえ」のようなものを自身の中で創り、それを意図的に呼び出す技術を磨くのが良いのではないかということ。
関係ありそうな他の記事を適当に貼っておきます。
ちょっとでも参考になれば幸いです。





ヒカルさんのおっしゃってることプラス、僕自身はメメントモリ、が加わる気がします。